月篠あおい Side














そのぜんぶに、
相手を思う大事な気持ちが詰まっている。









『その、ぜんぶ 1』

(「西浦中学校物語」Afterwards)
(2010バレンタイン&2010/2/19サイト開設5周年記念スペシャル)












まだ夜明け前、闇が満ちる冬空の天頂に細い月が出ていた。
思ったより目に眩しい光は、
夕刻に見る同じ形のそれとはまた違っていることに驚いた。
闇の深さが違うのか、対比のせいでそうなるのか。
星も近くに数個瞬いていて、綺麗で、
オレ、水谷は寝室の開けかけたカーテンをそのままに暫し見入る。
気温は下がりきっていて大気は凍るように冷たかった。



「おはよ」
ダイニングに入ると語尾が消えかけるいつものイントネイションの声が、
キッチンから聞こえて耳に届く。
その声も、ほわりと暖められた部屋にもうれしさを感じてオレの口元は緩んだ。
「さっかえぐっち、おはようっ」
「ねえちょっと」
「ん?」
首を傾げつつ、留まって続きを待つ。
「……あー、うん、顔洗って来れば?」
「?……うん」
投げられた声に従いダイニングを出ると、その気温差に身震いをしてしまう。
窓の外を見てもまだ夜は明けてない。
西浦中学校はここから通勤するにはかなり遠い、
睡眠時間は足りていなくてまだ眠い、お腹も十分に空いている。
それでもこの暖かい場所があることで、オレは幸せだった。



ダイニングに戻ってきたオレがテーブル上に見たのは、
生クリームがこんもりと盛られているコーヒーカップと、四角いチョコが数個乗った小さな皿。
何の飲み物かは、香りで分かる。
好物のホットチョコレートだ。
「栄口、あの、これって」
今日が何の日かはもちろん知っていて、
その上でキッチンに向かっている栄口に近付き、細い背に問うてみる。
バレンタインデー当日である。
「お前、最近忙しいから夜も帰りが遅いし、ゆっくり話せないだろ?
仕事山ほど持ち帰ってるから、身体の方が心配だけど、
それはこの時期だからしょうがないよね。……でも、今日は特別だから。
朝から甘いモンはどうかなとは思ったけど、あ、ちゃんと朝ごはんも用意してあるよ」
「ありがとう!オレうれしいよ!」
オレは背中から飛びついて細い身体を抱きしめた。
「危ないだろ!包丁持ってたらどうするんだよ!」
おデコをぴしりとはたかれる。
でも栄口は笑っているから、気にしない。
オレも笑った。
3年生の担任になってしまったので、今年度のオレは目の回るような忙しさの毎日で、
受験本番真っ只中の2月は仕事に埋もれて暮らしている。
別れの春が近付く寂しさは少しは紛れるが、身体にはやはり疲労が蓄積していく。
そんな中で朝食作りをやってもらっているので毎日とても助かっているのだ。
栄口とちゃんと向き合うことができるのは朝の時間だけで、
今のオレにとっては大切な時間だった。



「うわうわ、美味しそう」
カップに添えてあったスプーンで生クリームを大きく掬うとぱくりと口の中に放り込み、
ホットチョコレートを一気に飲み干す。
甘くて温かくて、身体に新しい熱が生まれていく。
横の小さなチョコに視線を落とした。
「……ねえ!」
「はーい?」
「この生チョコって、もしかして手作りなの?」
目玉焼きとトーストを抱えて栄口はダイニングに現れる。
テーブルにセットしながらも、照れたような微妙な顔つきでいて、
その顔をオレはじっと見つめてしまう。
「ああ、うーん、ほら、あれだよ。
スーパーに生チョコがお手軽に作れるキットみたいなのが売ってあったんだよ。
だから、ちょっと作ってみようかな、なんて」
「うわあ、……食べるの、もったいないなあ」
「ありがとう。気持ちは、分かるよ」
目の前にある小さなチョコはただのチョコではなく、栄口の気持ちがたくさん詰まっている。
すぐに食べてしまうのを勿体無く感じてしまうのだ。
昨年のバレンタインデーに自分が渡したチョコを『形にして持っていたいんだ』と言った、
その時の栄口の言葉がようやく実感できる。
「これ、また夜にゆっくり食べる。なんか酒を飲みつつ食べたい、一緒に」
「ああ、それもいいね」
栄口は頷いて笑う。
今日は頑張って早めに帰ってこようと、
まだ空に存在しているだろう冬の月に水谷は誓った。



準備を終えて出かける前に、必ず栄口を腕の中に入れてぎゅっと抱く。
今日も1日頑張るんだと自分に活を入れるのだ。
「栄口、あのね」
「ん?」
「キスしたいよ」
「はいはい」
触れ合う唇に1年前の記憶が呼び覚まされる。
「ちょうど1年前に栄口にあげたチョコさ、結局どうしたの?食べた?」
愛情を込めたチロルチョコを栄口はなかなか食べることができずに暫く持っていた。
まさか食べれないままに、まだ持っているんじゃなかろうか。
「食べたよ」
「……いつ?」
「この部屋に越して来た日だよ」
「え?」
「お前からもらった気持ちの欠片を取っておいたけど、
もう本物の水谷とずっと一緒だからもういいかなと思ったんだ」
「もういいって……」
「今年もチョコ配るの?水谷せんせ?」
「ああ、うん、配る。あ、ちょっと待って!」
がばりと栄口を引き剥がす。
もらうばかりで今年はまだ自分から栄口にチョコをあげていなかった。
「あんま待たない!時間見る!遅刻だけはするなよ!!」
ばたばたとオレはカバンを開ける。チョコを入れた紙袋を取り出した。
「じゃあ、オレからはちろるさんを2つ。
『オランジェ』と『いちごコンフィチュール』ね、栄口に愛と感謝を込めて」
「ありがと。……新物じゃないのか、これって」
可愛いオレンジとイチゴのパッケージフィルムを見つめて栄口は言う。
「そなの?よく分かんないけど。バレンタインに向けた商品らしいよ」
「へえ……。では、いただきます」
そう言うと栄口はチョコの包み紙を剥くと、口の中に放り込んだのだ、2つ共。
「水谷の気持ちは全部オレの中に入れたから。ハッピーバレンタイン!」
「あ、ありがとう、大好きだよ」
「オレもだよ、だけど時間は気にして」
「いってきます!今日は早めに帰ってくるからね」
手を振り、カバンを掴むと玄関に向かう。
靴を履いていると「水谷」と呼ばれて、オレは振り返った。
「いってらっしゃい!」
栄口の笑顔と声に見送られて、玄関のドアを開ける。
空の色が変化していて、ようやく夜が明けようとしていた。













バレンタインに飛び交うチョコレートの、
その、ぜんぶに。
愛情と感謝を込めて。










はっぴーばれんたいん!



今年は2011バレンタイン記念とサイト開設5周年スペシャルを一緒にしてみました。
まさかの「西浦中学校物語」復活です。
テーマは「手作りチョコ」と「全部」です。


私は萌えのスパンが長くて、何十年(笑)も大好きが続きます(笑)
サイト開設5周年の節目に何かちゃんとしたことをやりたかったんです。
5年頑張ったなあ、とおお振りの作品を数えたら、250作近くあってびっくり。
短いSSばかりですが、他サイトやアフタ感想もありますからずっと突っ走ってきたんだなあ。
このまま夏が来なければ(笑)もっと更新頻度は高くなるのに。
夏に悪化する皮膚疾患がただ恨めしい(笑)

「その、ひとつひとつ」の1年後の設定ですが、あちらを書いたのがもう3年前!
中学校シリーズの最後に書いた話からも、もう2年以上経っています。
「スペシャル、頑張ればやれるかなあ」と企画を立て始めたのは冬に入った頃。
シリーズを1度構築すると、そのキャラはほぼ永遠に私の中で生き続けます。
中学校シリーズの彼らもそうです。彼らの1年間と向き合いました。
頑張りました。その後の彼らを書けてうれしかったです。
喜んでくださると幸いです。


さて、第1弾はミズサカです。
昨年水谷からもらったはずのチロルチョコ、残った片方はいつ食べたのか?
そんなとこから話が進んでいきました。
水谷と栄口は2人いつまでも、ほわほわと幸せでいてほしいと思っています。











2011/2/14 UP





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