月篠あおい Side













燦燦と照りつける太陽の
その光を瞳の中に取り込んで


輝ける彼の眼差しは
心を真っ直ぐに射抜いていたのだ







『燦燦と』
(「西浦中学校物語」Afterwards)
(2008年10月16日田島お誕生日記念SS)









夏が終わろうとしていた。




秋の気配は徐々に近づいて、
肌に触れる風の感触をさらりと渇いたものにする。
重さを感じさせた厚みのある雲も、段々と薄くその姿を変えていく。
そんな夏の終わりかけの時期に西浦中学校の体育大会はある。




高校1年生になった花井にとっての9月は、
前半に文化祭を終わらせるとちょっと一息つけるくらいの余裕があった。
すっかり居心地の良くなってしまった夕暮れ時のこの空間で、
呆れるほどに出ていた英語の課題を淡々とこなしていく。
何で自分の部屋より落ち着くんだろう、と花井は思う。
ここは田島の部屋なのに。




この部屋の住人は、まだ帰宅してはいなかった。
初めて田島の部屋に招きいれられたのはやっと高校生活に馴染み始めた春だった。
それからはたまに学校帰りに寄って、宿題などをしつつ田島の帰りを待つこともあった。
夕飯をご馳走になる機会も増え、田島の家族とも仲良くなった。
同居している田島の姪っ子たちにはかなり慕われてもいた。
だが夏休み後半になった頃からは、
9月頭の文化祭で学年の実行委員長に選ばれたこともあり、
なかなか田島の家に寄る余裕もなくなっていった。
それに当の田島自身が新学期と体育大会の準備で多忙の日々を送っていて、
遅い帰宅時間になっていることもあり、顔すら見ることもままならない状態が続いた。
新人の2年間は生徒会顧問だった田島だったが、
今年度の校務分掌は体育関連に移ったようで、この時期の忙しさは昨年の比ではないだろう。
電話とメールで辛うじて連絡はとっていた。




1週間ほど前のことだったか。
今日の日付を指定して「泊まりに来て」と田島は言った。
だから花井は今、この部屋にいる。




眼鏡を外して、息をつく。
西浦中学校の体育大会は昨日だったはずだ。
顔を出せと田島には言われたけれど、
生徒会長だった花井にとっては周りの先生方が皆知り合い状態だったので、
それがなんだか恥ずかしくてとうとう行くことができなかった。
今日は代休で休みのはずだが、田島はまだ帰宅していない。
田島の家族によると、もう数日は帰ってきていないらしい。
花井は昨年の記憶を振り返り、未だに微かに湧き上がる感情に顔を顰めた。
少しは髪も伸び、もう坊主ではない頭を振りつつ、
眼鏡を掛けなおして花井は羅列した英文の海へ視線を戻した。
その時、遠くに田島の家の玄関ドアが閉まる音を聞いた。
2階にある田島の部屋までその大きな音は響いた。




「梓っ!!」
名まえを呼びつつ、階段を駆け上がって来ているようだ。
思わず立ち上がってしまっていた。
玄関前に置いている自転車と、脱いだ靴で自分の来訪は分かっているはずだ。
このまま平静を装うか、それとも笑顔で出迎えたほうがいいのか、
立ち上がったもののまだぐるぐるしている間に、田島の部屋の引き戸が開いた。
満面の笑顔の田島がそこにはいた。
「あずさぁっ!!」
「うわっ」
こちらに反応する余裕も与えず、花井に田島は飛びついてきた。
倒れはしなかったものの、抱きつかれて動けない。
田島より背が高い自分。
微妙な角度で見上げられて近すぎる顔と顔。
ちょっと会えないだけだったのに、愛しくて、恋しかった。
「オレ頑張った!」
「ああ、そだな」
「今日梓に会えるのをご褒美にしていっぱいいっぱい頑張った!!」
田島は目を細めて花井の胸に頬を擦り付けた。
心底うれしそうにしている。
「赤団旗!『田島組』の赤団旗!阿部先生には負けなかった!」
「へぇ」
昨年の阿部のクラス、3年9組の体育大会の黒団旗を花井も思い出す。
各クラス工夫をこらして広用紙大の紙で団旗を作成するのだが、
9組は真っ黒な色画用紙にちょっと変わったタッチで阿部の似顔絵が大きく描いてあった。
その横にさらに大きい筆文字で「阿部組」と似顔絵と同じ銀色で書かれていて、
全クラスの中でも大変目立っていた。
空いた部分にはクラス全員の名前が書いてあり、
リレーや個人走などで賞を取ったらもらえるシールをそこにぺたぺたと貼ってある。
3年の団旗は卒業アルバムにも掲載されるが、阿部組の団旗は中でも異彩を放っていた。
それだけではない。
テーマカラーを黒にしていて、
阿部のクラス全員があちらこちらに黒色を上手く使っていたのだ。
田島がずっと羨ましがっていたのを花井は知っている。
新人1年目で田島は1年生の担任にはなったものの、
その時はまだ勝手が分からず無難な団旗だったようだ。
昨年度は1年の2クラスの副担任だったため団旗は作れず、
今年度ようやく2年のクラス担任になって願いが叶った。
阿部には『田島組』設立の許可をちゃんと貰ったらしい。
田島からの写メでその団旗を見た。
真っ赤な紙の団旗に、まるでマークやサインのような
あっさりとした田島の似顔絵と珍しい書体でレタリングされた黒文字の「田島組」。
テーマカラーとしての赤色もきっと他で効果的に使われていたのだと思う。
そして年度が替わるまでずっと赤い団旗はクラスの壁に貼られているのだろう。
田島のクラスの生徒たちの思い出となり、楽しい記憶として蓄積されていくのだろう。




「……なあ田島」
田島の頭を撫でつつ、花井は声を掛けた。
「にゃー」
「お前はいつ猫になったんだよ。今日って、1日部活やってきたのか?」
「うん、後片付けも残ってたし」
野球部は基本休みなし。
ミーティングくらいにしておけばいいのに、そうもいかなかったらしい。
顧問の先生は他にもいて、田島はあまり部活には口を出せてないようだった。
その分時間的な自由度もちょっとはあるそうなのだが。
「昨日の晩は?」
「飲みの二次会の後、阿部先生ん家。学校から近いトコに住んでっから。
そういえば、三橋が来てたなあ」
へぇ三橋が、と思いつつも話題は逸らさせない。
「当日は早朝から準備、終わった後も遅くまで後片付けか。
……体育大会の前の晩は?ずっと準備で、その後」
「……」
答えたがらないところを見ると、たぶん昨年と同じだ。
「前日また泊り込みなのかよ!無茶しすぎだろーが!」
怒気をちょっとだけ込めて言葉を零したら田島が体を離した。
真顔で花井を見つめている。
「あのなあ、梓。教師は生徒のためなら体張る覚悟はあんだよ!!
前にも言ったよなオレ!」
「それは、……忘れてない」
忘れるわけがない、ちょうど1年前だ。
当時生徒会長だった花井と、生徒会顧問の教師だった田島は、
この泊り込みが原因で生徒会室で小さな喧嘩をしたのだった。
「今年はなんもなかった」
「そっか」
「なんもなかったから安心しろよ、梓」
田島は再び顔を埋めてきた。
大きく息を吐きつつ、花井は記憶の糸を辿る。















忘れるわけがない。
ちょうど1年前、9月に入っていた。
猛暑と呼ばれた夏の終わりだった。
照りつける太陽がまだ空に輝いていた。




生徒会室の長机が花井の前で大きな音をたてた。
田島が手を振り下ろしたのだ。
「教師を舐めんな」
視線は逸らせず、花井と田島の2人は向き合ったまま動けなかった。
今思い返しても大波乱の体育大会前だった。




基本はクラス別に各団に分かれているのだが、
各学年9組もある西浦中学校では更に学年で3クラスずつを区切って、
赤青白でカラーを分け、大きな区切りとしている。
体育大会の準備で慌しい9月の初めだった。
花井と同じクラスの白団の団長だった3年7組の男子が、
他校の生徒と大きめの揉め事を起こしたのは。
たかが中学校の体育大会とはいえ、団の長となるにはカリスマ性がいる。
多少素行は悪くても、元気で且つ皆の人気者がこれまでも団長となっていた。
朝や放課後などにちらちらと見え出した他校生徒の影。
その件についてこっそりと緊急職員会議も開かれたと、
情報は生徒指導である阿部からも花井には入ってきていた。
体育大会直前のこの時期に団長の変更もできるはずもなく、
クラスの代表で立ち上げられている体育大会実行委員会と共に、
不穏な空気を感じつつも練習と準備に明け暮れる毎日だった。




きっかけは田島が体育大会数日前に不用意に洩らした一言だったと思う。
いつものように生徒会室で田島は私物の小さな扇風機を回しつつ、
お気に入りの丸椅子を窓側に運んで空を見ていた。
もう陽は落ちてしまっていて、群青の空と影の濃い雲が広がっていた。
「前日は泊り込みだかんなー。今年は覚悟がいるなあ」
「……なんだよそれは」
その発言に噛み付いたのは花井のほうだった。
いい加減煮詰まっていたためか、敬語はどこかに飛んでしまっている。
やべーという呟きも追加で聞こえて、
あの噂は本当だったんだなと花井には理解できた。
……噂。
体育大会を中止にさせようと前日に学校へ入り込む輩がいるらしく、
先生達が毎年必ず泊まり込んで監視をしているという噂。
大体において毎年杞憂に終わっていくのだが。
今年はどうもそうはいかないらしいと、
そんな噂は実行委員会や生徒会にも伝わっている。
白の団長は自分がこの役を引いたほうがいいのではないかと随分と悩んでいたが、
今更変わりの人間を立てるというのは事を大きくするだけだった。
ならば何が起こっても困らないように対策を立てるしかない。
それは分かってはいる。
校舎にはセキュリティが入っていて、
セットした後は中に何かあれば警備会社に通報されることになってはいるのだが、
その他の場所は割りと簡単に出入りできる。
体育倉庫に保管されている各団に一つずつある大太鼓を破るとか、
嫌がらせの手口はいくらでもあった。
「泊り込みって……大丈夫なのかよ」
「当日は無事開催させる」
「こないだセキュリティの死角を突いて夜中に印刷室のガラス割られたって聞いた」
「……そんな情報どっから持ってくんだか花井は」
田島は丸椅子から下りて、花井の目の前にいた。
生活指導の阿部とはいろいろとこっそり情報交換をしている仲だというのは、
実は田島には内緒だった。
「何であんたら教師がそこまでする必要があんだよ」
「花井、」
「前日、オレも泊り込みさせてください」
「ダメだ」
「何でだよ!」
そこから散々言い合った後に、
生徒会室の長机が花井の前で大きな音をたてた。




「教師を舐めんな」
吐き出すように、それでもいつもより抑えた声で田島は言う。
「オレ達は生徒のためなら体張る覚悟はあるんだ!
だがお前ら生徒に何かあったら困るだろうが!!それこそ本末転倒だ!!」
もしもケガでもさせたらと、田島が言いたいのはそういうことなのだろう。
「……田島先生」
「体育大会は何があっても成功させる」
太陽のように。
真昼の世界に鎮座しているあの燦燦と降り注ぐ太陽の光のように、
眩しいほどの強い光をその瞳に宿して、田島は花井の目の前にいた。
「信じろ」と、言外に言っているようでもあった。
体育大会が終わっても、すぐに文化発表会の準備が始まる。
文化発表会を好きにやってもいいと田島が前に言ったのは、
何があっても責任は教師のものだからとその覚悟があるからかもしれなかった。
教師になってまだ2年目の、
見た目には自分たちとたいして変わらない風貌の田島だった。
普段は言ってることもやってることも、まだまだ子どものようで。
花井から見ると、いろいろと可愛くて。




でもちゃんと教師だったのだ。
目の前にいる、田島は。




















結局、昨年の体育大会前日は学校に忍び込もうとした他校生徒十数人を、
田島や阿部や他数人の若手教師で押さえ込み、
阿部の野太い怒鳴り声が学校中に響き渡ることになったのだが。
秋晴れの中、無事に体育大会は開催され、
その後田島のせいで大騒ぎになる文化発表会へと学校側の行事は移っていった。
もう今となっては季節をくるりと一回転させるくらい過去の話になってしまった。
思い出すと、何もかもが懐かしかった。




「田島、お帰り」
花井は田島の背に両腕を回して、抱き締めた。
汗の匂いが田島の匂いだな、と花井は笑みを浮かべる。
「今日晩メシ何だって?」
「久しぶりに末っ子が帰ってくるから、すき焼きだっておばさん言ってた」
「おーっ!そりゃ楽しみ!ごちそうじゃん!梓、今日泊まれるんだよな?」
「明日の分も教科書持ってきてっからな」
「こういう時、がっこが近いっていいよなあ〜」
階下から田島の母の呼ぶ声がする。
「悠一郎!お風呂早く入んなさい!花井くんも!」
「りょーかーいっ!行こっ、梓!」
手を引かれて部屋の外に連れ出される。
帰ってくるなり田島に振り回されっぱなしだが、それが花井にとってはうれしかった。
卒業してもこんな風に2人の時間を持てるとは、
別の「場」を持つことができるとは生徒会長だった頃の花井は思ってもいなかった。
だからこそ、今のこの穏やかな関係がただひたすらに尊いものだった。




温かい風呂と、美味しく楽しい夕飯をご馳走になり、
その後田島の部屋に布団を2組敷いて、
少々どきどきを抱えつつ、花井は終わっていない英語の課題とまだ格闘していた。
布団のひとつに寝転がって、田島は花井を見上げている。
「あーずさー。あそんでー」
飼っている猫が田島と一緒に転がっていて、まるで猫が2匹いるようだ。
「もちょっと待って」
「早くご褒美のちゅーが欲しいなあ」
「ばっ…!バカ!ちゅーでも何でもしてやるから少しは静かに待ってろっ」
「ほーいっ。……暇だから文化発表会の計画でも立ててよーっと。
梓、お前、ゲストで一緒になんかやんねぇ?今年一人なんだよなあ」
とうとう浜田にも見捨てられたのかと花井は頭を抱える。
「やりませんよ、絶対に」
「あ、敬語っ。ほら元生徒会長だっつったらいろいろと盛り上がったり、」
「しねーよ!!オレを巻き込むなよ!!」
花井は田島の古い学習机の上、テキストを放り投げると椅子から下りて布団に近付き、
そのまま田島を組み敷いた。
「お前は……反省と自粛いう言葉をいい加減どうにかして頭にいれろよ」
「人生何でも、楽しんでなんぼ」
「田島先生!」
「んーっ!先生ってゆーな!」
口を尖らす田島が可愛くてしょうがない。
「好きなお前とこうして一緒にいることができて、オレは幸せだな……」
「……梓、ご褒美!」
「はいはい」
放り出した課題の続きは諦めつつ、
花井は笑顔の田島に顔を近付け、そっと唇を重ねた。








田島に対して持っていた、心を焦がしてしまうような好きだという気持ち。
その想いが報われるとは決して思っていなかった。
気持ちを持て余して、切なくなるばかりだったあの頃の自分を思う。
今も変わらぬ双眸はここにあるけれど、
記憶の中で燦燦と輝くあの眼差しを花井はきっと一生忘れない。









この先の長い人生でも、忘れずにいたいと思った。














田島、お誕生日おめでとう!!



「西浦中学校物語」その後のお話です。
番外編扱いとなります。









2008/10/16 UP




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