月篠あおい Side














それは青空のように
最後まで残って角膜に届く優しい色









『青光(しょうこう)』
(「西浦中学校物語」Afterwards)
(2008年6月8日栄口お誕生日記念SS)









桜満開の時期が過ぎ、入学の春を迎える頃になっても、
栄口と暮らすという現実を現実としてなかなか捉えることができなかったのは、
あれほど栄口を恋うていたオレ、水谷の方だった。
元々姉貴夫婦が暮らしていた部屋で、部屋数も適度な広さもあり、
栄口の部屋を別に取ることも容易にできた。
夢心地でいる間に、栄口の荷物は数日かけて運び込まれていき、
オレの目の前には「よろしくお願いします」と頭を下げた栄口の姿があった。
お願いするのはこっちだよ。
あんまり急に近付きすぎて、逆にどうしていいのか分からない。
「ずっと一緒にいて」と言ったのは確かに自分のはずではなかったか。







図書準備室で独り泣いていた栄口のあまりの愛しさに、
お持ち帰りをしてしまったあの日。
あの日は2人、手を繋いで眠った。
「一緒に眠りたい」と言った自分の申し出を、栄口は笑顔で受けてくれた。
本当は何処にも逃げられないように掴まえておきたかった。
抱き締めたいとかキスしたいとかそんなことより何よりも、
温もりのあるその手を掴まえておきたかった。




目の前に栄口の姿がある。
大好きな笑顔がいつも傍にある。
一緒に暮らすようになって、いろんな姿を見ることが出来ている。
見つめて見つめて、それだけでも幸せでたまらない。
手を繋いで、「好き」だと言って、キスを交わす。
それは現在のオレの精一杯だった。
いい加減大人なんだからその先へいけないこともないだろうが、
あんまり幸せだともし失ってしまった時の反動は大きいだろうと思う。
お別れが嫌だと焦りだけを抱えていた期間はあまりにも長く、
栄口の異動先の学校が自分のマンションの近くで、
だからこそ栄口は自分の傍にいてくれるのかもしれないのに。
近付き過ぎて逃げられるよりは、
笑顔を見て暮らしていける幸せに浸りつつ、日々を過ごす方がいいのではないだろうか。




4月の新年度になってからは仕事は更に忙しさを増していた。
夜も更けきってから帰宅することも多いが、迎える人がいてくれると思うとほっとする。
栄口と家でも仕事の資料を広げてあまり得意ではないパソコンと格闘する。
日々は慌しく過ぎていく。







優しい光がいつも傍にある。
見上げた世界に広がるような、澄み切った青空のような。










5月の連休を控えて、学校内も自分の気持ちも落ち着いてきた頃、
陽もとっくに落ちて人も疎らになった職員室で、阿部先生の口から三橋の名が出た。
「ええっ、三橋と会ってんの?今でも?仲良しさんだなあ」
「……まあな、結局数学とか他にもいろいろ見てやってんだよ。
高校は結構難しくなっからな、またこれがとんでもなく躓いててなあ」
阿部先生の顔は話の内容の割には傍から見ても分かるくらいにうれしそうで。
「なら今度連休にでも三橋と一緒にオレんトコ遊びにおいでよ。栄口料理上手いんだよ」
と提案すると、更にうれしそうな表情をする。
何がそこまであのこわーい阿部先生を変えてしまったのか。
やっぱしそれって三橋の影響だよなとただ思う。
「お前の、じゃなくて栄口先生の手料理なのか、いいのか?」
「オレ、三橋に会いたいな」
「いやだからお前の話じゃなくて栄口先生には了解を取ったのかって話だが」
「お願いする、するもん」
そう言ってオレは携帯電話を取り出した。




連休の中日に2人は家に来ることになって夕飯のメニューに何がいい?と尋ねたら、
阿部先生からはにんじん大きめの鳥カレーがいいという答えが返ってきた。
栄口が笑って言う。
「メインがカレーなら、後はサラダとスープくらいでいいよね?
スープは水谷にお願いしていい? 」
「じゃ、サラダはシーザーが食べたいっ。
あ、なんかゆで卵もあったら喜ぶって阿部先生が言ってた」
「ゆで卵!「喜ぶ」って三橋が、だよね」
「阿部先生は食いもんより酒!飲兵衛なんだから!」
たぶん三橋が好きなメニューなんだろうとは想像がついた。
カレーと言えば、お持ち帰りした日以来食べていなかった。久しぶりだ。
実家住まいの割には料理が驚くほど上手い栄口。
訊けば、お母さんを早くに亡くしてキッチンに立つことも多かったみたいだ。
酒飲みである阿部先生に酒はどのくらい用意した方がいいか確認を取ったら、
三橋を帰り車で送って行きたいから酒はいらんと言われて驚く。
とても阿部先生の吐く台詞だとは思えない。



人との出会いによって大きく変わっていくものがある。
自分もそうだった。
栄口と出逢ってしまったことで、世界に光が満ちる。








手土産にケーキと花を抱えて、阿部先生と三橋がやってきた。
三橋はきれいな花のアレンジメントのカゴを抱えている。
「うーす」
「こ、こんばんはっ」
ドアを開けて中に入ろうとしている2人を見て、オレはうれしくなってしまった。
「三橋ーっ」
思わず駆け寄って三橋に抱きついたら、カゴを三橋が落としそうになった。
「うお」
「おい、危ねェだろが」
ひょいとそのカゴの取っ手を阿部先生が掴む。
三橋のふわふわの髪が腕に当たって心地いい。
いつまでも抱きついたままでいたら、阿部先生に頭をはたかれた。
「こら、お前はっ。人のもんに手ェ出すなよ」
……人のもんって、三橋、誰のもんなんでしょうか。
自分の発言に気付いて手で口を押さえている阿部先生も三橋も顔が赤くて、
オレも慌てて三橋から体を離して沈黙の波に暫し揺られていた。
ダイニングから栄口が声を掛けてくれなければ、いろいろヤバかったかもしれない。
「……カレー、いい匂いだ」
三橋がふわりと笑う。ようやく場が和む。




4人での晩餐は思ったよりも穏やかで楽しかった。
三橋も高校生活の話をいろいろとしてくれた。
阿部先生が酒を飲まないので、自分と栄口も飲むわけにはいかず、
非常にいつもにくらべて健全で楽しい時間が過ぎていく。
三橋はもう何と言うか全身で阿部先生が好きだと言っているようで、
それはそれで大変微笑ましかった。
食後に切って出された生クリームたっぷりのケーキを見て、
オレはうれしさの余り声を上げてしまった。
「水谷、昔っからお前こういうの好きだったよなあ」
ニヤリと笑いつつ阿部先生は言う。
バレてるというかなんというか、大学の先輩である阿部とはいい加減付き合いも長かった。
栄口も人数分のカップにポットから紅茶を注ぎつつ、苦笑しつつ三橋に話を振っていた。
「三橋も、好きみたいだね、ケーキ。目がきらきらしてる」
「うん、好きだっ」
「へェ、そんな好きなんだ」
阿部先生がぼそりと言葉を落とす。
「阿部くん、オレ、ケーキ、好きだっ」
「オレもっ!!」
何故か力説している三橋に同意し、自分も盛り上がる。
楽しい、楽し過ぎるほどの時間だった。









楽しい時間はあっという間に過ぎて、阿部先生と三橋は笑顔で帰っていった。
年度が替わるころの阿部先生の落ち込みようは大変なものだったので、
明るい笑顔を見ることができただけでも良かったと思う。
夜も更けきって、かなり遅い時間になったので、後片付けを手分けして手早く済ます。
後はいつもの夜だった。2人きりの。




適度な疲れを抱え、ベッドに倒れ込んで楽しかった今日の記憶を引き寄せる。
眠りの到来に意識を手放そうとした時に、小さく部屋のドア、ノックの音がした。
「ん……だれ」
「誰って、ここにはお前以外はオレしかいないんだけど」
「さかえぐちっ」
ベッド際にある小さなスタンドの灯りを手を伸ばしてつける。
開けたドアの向こうに栄口の姿を認め、慌てて起き上がった。
ベッドの上でぼやけた目をこすっている間に、栄口はドアを閉め、こちらに近付いてきた。
「起きなくていいよ、寝てていいから」
「うにゃ?」
「ちょっと邪魔させて」
見ると栄口はその腕に枕を抱えている。
そしてベッドにそのまま潜り込んで来た。
枕をぽんと置いて横になる。
「ほら、寝るよ」
言いつつ腕を引っ張るので、促されるままに寝転がる。
栄口が体を寄せてきて、その驚きで目が覚めた。
「え、ちょ、あの」
「おやすみ水谷」
「うわ、あの栄口っ」
栄口は目を開けて間近でオレを見つめてくる。
「ねえ」
「はい」
見つめ合うのが何故か心苦しくて目を逸らすと名を呼ばれた。
「水谷せんせ」
これは逃げられないと覚悟を決める。
心臓の音があちこちから響いてきているようで落ち着かなかった。
「……何でしょう。ご意見ご要望承りますが」
「ばかっ」
「どうせばかだもん」
「何でオレ達一緒に暮らしてるの?」
唐突に投げかけられた疑問符に、どう答えていいか分からなかった。
栄口はその頬を赤くして、けれど眉根を寄せている。




「水谷、せんせ。答えて、ねえ」
「……だって、栄口のがっこ、こっから近いし」
「それだけじゃ一緒になんか暮らさないだろ。確かに言い出したのはオレだけど」
「や、一緒にいようよってお願いしたのはオレだし」
「水谷、またなんかネガティブな誤解をしてるだろ」
栄口の言っている意味がよく分からない。
頭ん中はぐるぐると回っていて、思考回路はショート寸前だった。
ああ、それってどっかで聞いたフレーズ。
手を握られて、いつも暖かい手がちょっとひんやりしていて、
栄口の余裕の無さがそれでも分かる。
「ご意見ご要望承りますっつうか、オレ栄口悲しませるのやだよ。
気に入らないトコあるんなら言ってよ。ああでも同居解消するって言ったら泣くからね」
手を握り返して力を込め、そこまで一気にまくし立てたら栄口が小さく吹き出した。
「ばか」
「どうせだってきっとばかだもん」
唇を突き出して拗ねてみる。
「……キスだけじゃ足りないよ、って思ってるのはオレだけなのかな」
「えっ」
「好きな相手と一緒に暮らしてるんだからさ、やっぱ触れたい夜もあるよ」
「ええっ」
「お前本気でばかだろ。そこが一番好きな自分もどうかと思うんだけど。
最近水谷に触りたくてたまんなくなるんだよね。何故かなあ」
「えええっ」
「その頬とか」
そう言いながら栄口は起き上がりオレの上へ覆いかぶさってきた。
片方の手は繋いだままで、空いたもう片方の手で頬を撫でる。
「オレだって不安なんだよ。水谷はオレのことを美化してしまってるんじゃないか、
同居してみて実際のオレを近くで見たら気持ち覚めたんじゃないかって。
だからキスまででってのはさ、それはオレが辛くて」
「だって栄口は。……栄口はオレの青空なんだ。
触れてしまったら曇るかもしれないじゃないか。
見てるだけでこんなにも、こんなにも幸せなのに」
まるで青空のようなキレイな心を栄口は持っていると思う。
この地球の大気の中、最後まで残って角膜に届く優しい光は青色で。
その青を失くしたくはなかった。
「見てるだけじゃ足りない。水谷はもっと幸せになればいい」
栄口の言葉と共に口付けが落ちてきた。




唇を離した後にこちらを見るその両目が潤んでいるのが分かって、
オレにもじわりとくるものがある。
熱は静かに沸いてきて、眠りはもう随分と遠くになっていた。
ベッドに肘をつき体を起こして、逆に栄口を静かに押し倒す。
至近距離に互いの顔はあって、視線は逸らすことすら許されない。
「約束して」とオレは言った。
「オレから、離れないで」
「うん」
「あと数年もすれば、オレも西浦から離れてしまう。
どれだけの時間が経っても、出会った場所が思い出になってしまっても、
栄口はオレの傍にいてよ。好きだよ。……好きなんだよ」
自分の気持ちに偽りは無いから、好きだという告白は何度でもできる。
「オレも、水谷が好きだよ」
想いは伝わって、交し合う視線に熱が篭っていく。




今度は自分からの口付けをしながら思い出したのは、最初の告白だった。
酒の勢いではあったけれど、気持ちはそのすべてが本物だった。
どちらかの異動で、栄口と離れることにずっと怯えていた。
あの頃の自分を思い出せば、今のこの幸せがどのくらい大きいものかが分かる。
繋がれていた手を離して、栄口の両腕がオレの首の後ろに回される。
口付けはだんだんと深くなる。
オレは栄口の細い首筋や鎖骨の辺りに指先で触れていく。
細すぎるほどの両の腕も、痩せてるけど滑らかな肌も、優しく笑うその表情も、
気持ちすらすべて、オレのものになってくれるのだろうか。
自信なんかかけらもないけれど、オレは信じなければならない。












何があっても最後まで失われないまま、
奥深くまで浸透していく光がある。
好きだという気持ちは光そのままに、きっと青い色。





心に届くのは、青い光だった。






















栄口くん、お誕生日おめでとう!


「赤光」から1年、やっと書けました!


「西浦中学校物語」その後のお話です。
番外編扱いとなります。



BGM : レミオロメン 『蛍』



「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」
(『阿弥陀経』という経典に説かれている言葉です。タイトルはこの辺から)








2008/6/8 UP




back