月篠あおい Side














そのひとつひとつには、
相手を思う大事な気持ちが詰まっている。










『その、ひとつひとつ』

(2008バレンタイン記念)







バレンタインデーも近付いた全校朝会の日に、
チョコを持ってきたら基本没収だと阿部は生徒達に向かって言っておいた。
まあ実際は黙認状態になるのだが、一応釘は刺しておきたかった。
なのに当日阿部の目の前で、しかも生徒指導室で、
「はい、阿部くん」と両手に小さなチョコを一個だけ乗せて三橋が微笑む。



「お前なあ、チョコ持ってきたら没収だと言ってたろーが」
「うん、だから没収して、ください」
阿部の目の前にはよくコンビニにも置いてある、四角い小さなチョコ。
「なんで没収されたがってんのか分かんねーんだけど」
「受け取って、くれるだけで、いいんだ。阿部くんに」
「受け取ったらお前、うれしいのか?」
「うれしい、よ!」
「ちゃんと食べたほうがうれしかったりすんのか?」
三橋は全力で首を縦に振っていた。
ぶんぶんと音が聞こえてくるようだ。
「こんなとこでチョコのやり取りしてたなんてバレたらオレまずいんだがな」
「ご、ごめんなさい……」
「だから、証拠隠滅な」
摘まんで包み紙を剥がして口の中に放り込んだ。
そのチョコは定番の味で、懐かしい気持ちになった。
四角い形のミルクチョコの中にはコーヒーヌガーが入っている。
甘いものはあまり好きではなくて、生徒達からたくさんもらうチョコは
毎年持って帰っては放置状態でその内移動して家族の胃袋の中に入っていたりする。
もちろんホワイトデーにお礼など考えたこともなかった。



だが、三橋の笑顔がもっと見たかった。
受け取って食べてくれたらうれしいというのなら、
そうすることで三橋が笑ってくれるのなら。
「あ、ありがとう、阿部くん。……好き、です!」
満面の笑顔で三橋が言う。
「好き」と言われるのはもう何度目だろう。
思わず阿部も笑顔になる。



「オレも、お前が好きだよ」とはまだ言えず、
阿部はそっと心の中だけで言葉にした。











バレンタインデー当日の昼休み、その喧騒の中、
教室廊下側の窓越しに花井は大きな声で名を呼ばれた。
「はーないーっ!!」
「……田島っ」
慌ててイスを蹴り飛ばしつつ立ち上がる。
この時点でクラス中の注目を浴びていた。
廊下に飛び出て、田島の腕を掴むと引きずってその場を離れる。



階段の踊り場まで移動して、大きく息を吐いた。
「……なんか用スか」
「花井!チョコ持ってね?」
「持ってません。久しぶりに会ってそれですか」
「誰からもお前もらってないの?」
「言ってんのはそういうことじゃなくて」
「オレにはチョコくんないの?」
「だから田島先生にあげるチョコは持ってません」
「ええーなんでっ」
「……『なんで』じゃないだろう!『なんで』じゃ!」
「ほら感謝を込めてお世話になった先生に、とかあるじゃねーの」
「ほー、感謝という言葉を使うんだ、そこで」
何が感謝だ、と花井はいいたかった。
生徒会長在任中に逆にどれだけ世話をかけたと思ってんだ、顧問のくせに。
「それをいうなら逆じゃないんですか。お世話になった生徒にとかさ」
「ああ、やっぱそうだよなあ。じゃ、花井ほら手ェ出して」
広げた両手にぽんと投げられたのは、
よくコンビニにも置いてある、四角い小さなチョコだった。
「お、『きなこもち』だ」
「お前好きだったろそれ。昨日見つけたんで買ったんだ」
買った、って、わざわざ自分のためにだろうか。
バレンタインデーだから買ったのだろうか。
ざわざわとうれしさが身体中に広がってくる。
田島がまじまじと見つめてくるのに気付いて、照れつつ言った。
「……ありがとう」
その言葉を聞いて、目を細めて田島が破顔する。



誰もいない場所だったなら抱き締めてしまうくらいに、
その表情は可愛くてたまらなかった。
「好き」という感情はちりちりと自分を内から焦がしていく。



約束の日まではまだ遠く、
花井はただひたすらに勇気を胸に溜め込んでいた。










バレンタインデーの、朝だった。



「おはようございます」
朝の挨拶をしつつ職員室の引き戸を開けたら、
そこに水谷の姿を見つけて、栄口はそれはそれは驚いた。
いつもギリギリに出勤してくるのが常の水谷が、
今日は栄口より早く来て、何やら先生方の机に配り物をしている。
「水谷せんせ、何してんの」
「おはよ!はい、栄口先生の!」
「……チョコ。ああ、今日は、そっか」
よくコンビニにも置いてある、四角い小さなチョコ。
いろんな種類があって見るだけでも楽しませてくれる。
「栄口先生には『いちご大福』をどうぞ」
「ありがと。全員に配ってるんだ」
「いっつも先生方には迷惑かけてるもんで、日頃の感謝を込めて、ね」
「……感謝、だけ?」
思わず漏れた台詞に、栄口は自分の手で口を塞いだ。
水谷は笑顔でもう1つチョコを渡す。今度はミルク味。
そして栄口の耳元で囁いたのだ。
「じゃ、こちらは愛情を込めて。2つ渡すのは栄口先生にだけだから」
返す言葉はなく、火照りつつある頬を押さえて栄口はただ頷いた。
2つのチョコを上着のポケットに入れる。
水谷の愛情がちょっとだけ形になって栄口の元にある。




感謝の気持ちが詰まったほうのチョコは、昼休みに食べてしまった。
だがミルク味のチョコは放課後になってもまだポケットの中にある。
水谷の愛情が詰まっていて、このチョコは他のどんなチョコよりも甘いに違いない。
甘いものは結構好きで、好きだからこそ食べてしまいたい。
けれどもっと栄口は水谷のことが好きだったので、食べることができなかった。
「栄口先生、チョコ食べた〜?」
特別教室棟で呼び止められて、振り向いたら水谷がいた。
陽は落ちかけて校舎を薄闇が支配しようとしていた。
辺りに人影はない。
「ひとつは食べたよ」
「どっち?」
「……『いちご大福』」
「もういっこは?」
「食べてない」
「……ああ、そ、そう…」
明らかに落胆したような水谷の態度に苦笑する。
「水谷せんせ」
「……」
「せんせ」
「……はい」
「なんか誤解してるようだけど、それは違うから。
チョコはも少し形にして持っていたいんだ。ありがとう」
「栄口先生……」
「3月にお礼をしたほうがいいのかな?やっぱり」
「お礼なら今欲しい」
水谷と視線を合わせてしまって、逃げられなくなった。
「いいよ」
上擦った声で、でも逃げないで答えて水谷に近付いていく。
栄口の前で水谷はゆっくりと目を閉じる。
薄闇のなか、指を伸ばして水谷の腕に触れる。



重ねる唇はどのくらい甘いのだろう。
ポケットに在るチョコとどちらがより甘いのだろうか。











この日だけはお腹を空かせておいて正解だったと泉は思う。
夕飯も少なめに食べてはいたものの、
どかんと目の前にホールで置かれたチョコケーキに少々眩暈がする。
ここは寛げる空間である浜田の家の浜田の部屋で、
テーブルを挟んで向かい合っている、いつもの2人で。



「でっかいチョコケーキ。生クリームもついてんの?」
「そ、ザッハトルテって名まえなの。ウィーンのお菓子。
その生クリームは砂糖入ってないんで甘くないから」
「へー。でもなんか切るのが勿体ねー」
チョコでコーティングされたザッハトルテという名のケーキは、
切ってしまうのをためらうほどに表面は滑らかで綺麗だった。
愛情がたくさん詰まってそうだなあ、と泉は思う。
いつももらってばっかりで悪いなあ、とも思うのだ。
「たっくさん食べてね。もう切っちゃっていい?」
「……ちょ、ちょっと待った」
掌を浜田に向けて腕を伸ばす。
首を傾げた浜田に「待ってろよ」と告げて、カバンの中を探る。
お目当てのブツを見つけて、包み紙を剥がす。
「口開けろ、浜田」
「はあ?」
「いいからほら」
口を開けた浜田の傍に寄り、小さなチョコを押し込んだ。



それはよくコンビニにも置いてある、四角い小さなチョコで。
「……『杏仁豆腐』だ。まだ置いてあるトコあったのか。
買おうかどうか迷ってて、結局買わないうちに近所の店からは姿消したんだよなあ。
……もしかして探してくれたの?泉」
「ん、まあ」
「ありがと」
浜田の満面の笑みが眩しくて、視線を合わせられずに泉は俯いた。
ほんとはもっと「好き」を形にしたかったけど、照れもあってなかなかに難しい。
「オレのチョコなんてお前のに比べたらたいしたもんじゃねーけど、
それでもちゃんと、気持ちはあっから」
「泉」
呼ばれた名に顔を上げたら、そのまま抱き締められてしまった。
「……気持ち、ちゃんと受け取ったから」
「うん」
「オレのも……受け取ってね」
「うん。……浜田、なんかいい匂いする、チョコじゃなくて」
「なんだろ?アプリコットジャム使ったからそれかなあ」
「ケーキ、食う」
「今お茶淹れっから、ちょい待ってて」



部屋を出て行く浜田の背を見つめながら泉は、
こんなにも穏やかな日々がこの先もずっと続いていけばいいのにと思う。



ずっと傍に居て。
ただそれだけの願いを抱えていた。













チョコレートの、その、ひとつひとつに。
愛情と感謝を込めて。


















はっぴーばれんたいん!



お分かりのように、お題はチ○ルチョコ(笑)でございます。
昔からあるナッツ入りミルクヌガーの長方形のヤツが、
子どものころから大好きだったりします。
チ○ルのサイトも見たけど、あんなに種類があったとは!

このシリーズでは、
4カプどれもバレンタインのお話を書いてなかった(笑)
ここで書けてうれしかったです。












2008/2/14 UP





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