月篠あおい Side














いつか、終わってしまうだろうその時までは。










『over』 後編

(2007年12月19日浜田お誕生日記念SS)








キレイな青空を見た。
卒業式に相応しいとさえ思うくらいに晴れていた1日だった。




その世界に夜が訪れたら、満点の星が頭上に光る。




泉からの空メールにオレ、浜田が気付いたのは、
卒業式の打ち上げの一次会が終わり、
二次会の会場である行きつけのパブへ移動の途中だった。
いつもパブ「ランニングホームラン」から小さなバスが出ていて、
そのバスに乗って二次会参加のメンバーは移動する。
教師になって1年目のオレは今回の幹事ではなくても、
いろいろな雑用をこなしたりして目の回るような忙しさだった。
やっと一息つけたのがぎゅうぎゅうのバスの中で、
携帯電話の着信を確認したら泉から件名も中身もなんもないメールが来ていた。
時間はもうかなり遅い。
バスの窓越しに見る空は、闇に覆われていて星だけが光を放つ。
着信の時間は20分ほど前。
追加のメールはなし。
取り急ぎ「どうしたの。」と返信をしてみる。
「も一度連絡してください。」とお願いをしてみる。
ざわざわとした不安がオレの奥底から湧き上がってくる前に。
感じ始めた不安のすべてが杞憂であるように。
付き合いはかなり長いが、泉から空メールをもらったのは初めてのことだった。





ジャケットのポケットに突っ込んだ、マナーモードにした携帯電話の着信を
ボタンで確認しつつ、「浜田せーんせー」「ハマちゃん」と
声が掛かる度あちこちの席に飛んでいく。
泉からのメールの返事が、ない。
焦る気持ちを抑え切れなくて、先程トイレに立つ振りをして電話を掛けた。
呼び出し音はいつまでも鳴り響いて、電話を取る気配もない。
携帯電話をどこかに置いたままなのだろうか。
それだったら何も心配することはないのだが。
もしかすると……何か、まさか、何か。
もう一度空メールでもいい。1秒だけの電話でもいい。
欲しいのは「安心」だった。
誰か考えすぎだ、心配しすぎだと言ってくれないか。
思考がぐるぐると回り、席に戻った後も、笑顔がだんだんと強張っていく。
話しかけられている内容が、留まらないまま抜けていく。
再度泉に電話を掛けようと思うのだが、なかなか席をはずすことができないでいた。




「浜田せんせ、ちょっといいですか?」
肩に手を置かれ、振り仰ぐと笑顔で栄口先生が立っていた。
促されてオレは立ち上がった。
「浜田せんせ、借りますね」
「あら、すぐ戻してよ〜」
年配の先生方の声を背に、栄口先生はオレの腕を掴んだまま、
カウンターの隅まで引っ張っていく。
「電話したいんですよね?急用?」
「え、なんで」
「ジャケットの、携帯でしょ。外に出てゆっくり電話してください」
「……栄口先生」
気を利かせて場からオレを連れ出してくれたのだろうか。
「どしたの?ね、ね、どしたの?」
「水谷せんせはいい加減うるさい」
見ると栄口先生の後ろには水谷先生がいつの間にかくっついていて、
なんだかんだと言いつつ2人はじゃれている。
最近見慣れた光景ではあるが、可笑しくなって素直に笑みが漏れた。
言葉に甘えてもう一度電話をかけてみようと思う。泉の家電にも。
「ありがとうございます、じゃ、」
と、外に出ようとした時に声が掛かった。
「浜田先生〜っ!カラオケ!曲!次、浜田先生っ」
予約曲が多すぎて、いつまわってくるか予測もつかなかったカラオケの順番なのだが。
こんな時に限ってと間の悪さに嘆息した。
喧騒の場に戻ろうとしたら「先生、待って」と栄口先生に呼び止められた。
「戻んないで。電話してきて。水谷せんせ、あっちフォロー入れて」
「や、それは」
そこまでは甘えられない。
「りょーかい!愛しの栄口先生の頼みごとは断れないもんねー」
「…っ!余計なことは言わなくていいから!さっさと行って!」
真っ赤になって栄口先生は怒鳴る。
早くも酔っているようで、水谷先生は栄口先生に投げキッスをして、
「浜田先生取り込み中のため、不肖水谷代わりに歌いますっ!!」と、
宣言しつつ、場に飛び込んでいった。
「水谷せんせは上手くやるから。ゆっくり電話して来てください。
オレもフォロー入れますし。……彼女さんなのかな?電話の相手」
その問いには曖昧に笑って、頭を下げて踵を返して外に出た。




彼女じゃないけど、オレにとっては世界で1番愛しい人だった。
オレにとって、泉は。




大きい溜息をついて、携帯電話を閉じる。
電話を再度かけても出ない。
メールも追加で送ったが、もちろん返ってはこなかった。
家電の方は話し中で、この時間だ、きっと誰かが使っているのだろう。
さて、これからどうしようか。
このまま二次会を抜けて泉の家まで行きたいんだが、
今の状況でそれができるのだろうか。
とにかく戻らないとと思い店の中に入ると、トイレから出てきた田島先生とぶつかった。
「うわ、すいません」
「ワリ!……どうした?浜田、顔色悪い」
「……」
「お前酒強いから酔ったなんてありえねーし。何かあった?」
「泉が、」
言いかけて押し留まる。何を言ってる、自分は。
田島先生は顔を顰めてオレを見ている。
オレと泉が昔馴染みだと言うことを知っているんだった、田島先生は。
そう気付いたら、続きの言葉はするりと口から出て行った。
「泉が連絡、つかないんですよ全然。空メール1度寄越したっきりで」
「それって、心配じゃね?」
見ないようにしていた不安が、その一言をきっかけにオレの意識に纏わりついてくる。
田島先生の言葉に頷いたら、「ここで待って」と声がして、
次の瞬間にはもう目の前からいなくなってた。
携帯電話を開いて、すぐに閉じた。
溜息はもう何度目のそれだろう。





田島に手を引っ張られて現れたのは、阿部先生だった。
「とりあえずそこにいたんで阿部っち連れてきた」
「『とりあえず』とか『阿部っち』とか突っ込みたいとこはたくさんなんだが、田島!」
「えーなんで。阿部っちでいいじゃん」
「年上とか先輩とかいう意識がないだろうお前はっ」
2人がぎゃいぎゃい言い出し始めたのでどうしたものかと途方に暮れかける。
「あ、あの、阿部先生……」
一応事情は説明したほうがいいのだろうと思い口を開いたら、
阿部先生の手がそれを制するようにオレの目の前に差し出された。
「一応田島から簡単に事情は聞いた。ここはいいから今すぐ帰れ」
「え」
「帰れ、って言ってる」
「……や、でも」
「泉の担任として言わせてもらえば、今日は卒業式で普通の状態じゃないだろうし、
それに、……近くにいたんなら分かってるんだろうが、あいつはそんな強くない」
オレはただ黙って頷いた。
「こっちのことは何にも気にしなくていいから」
そう言ったのはいつの間に来ていたのか、西広先生だった。
「ずっと一次会から幹事でもないのにおばさま方の相手をしてもらってて、
本当に浜田先生には感謝してます。でもね、こういうときは遠慮しなくていいんですよ」
田島先生がうんうんと首を大きく振って頷いている。
「浜田先生!タクシー呼びました!10分後だそうです」
保健室の住人である篠岡先生が、そう言いながら奥から現れた。
どうやら西広先生から頼まれていたらしい。
西広先生が小声で礼を言っているのでそれと分かる。
「ありがとう、ございます」
オレは深く深く頭を下げた。




世界には優しさが満ちている。
周りにいる人々の優しさに後押しされて、
オレはタクシーに乗って泉の家まで向かっている。
いい教師になることが、
その優しさに報いることになるのかもしれない。
タクシーの窓越しに星降る空を見上げながら、そんなことを思った。
「泉……」
手の中の携帯電話を握り締める。




不安にこの心が押しつぶされてしまう前に、
泉の笑顔が見れますように。
















泉が自宅には不在で、オレの家に行くといって出かけたと、
そう泉の母親から玄関先で聞かされた時には、さすがにふらりと視界が揺れた。
きちんと卒業式の日の夜は打ち上げでいないと伝えていたはずなのに。
「じゃああの子、良郎くんの帰りを待つつもりなんだわ。
あれで結構な寂しがり屋さんだから」
何せ長い付き合いだ。
家の合いカギを隠してある場所も知っているはずだから、
玄関口で待っているということはないだろう。
なら、何故電話に出ないんだ?
「こちらこそ、すみません。
もう時間も遅いし、孝介くん、このままうちに泊まらせてもいいっスか?」
「迷惑じゃないならそうしてちょうだい。いつも良郎くんにはお世話かけるわね」
「夜分遅くにすみませんでした。失礼します。おやすみなさい」
笑顔で玄関のドアを閉め、そしてオレは徒歩5分の道のりを駆け出した。




たくさんの星が瞬いていた夜だった。
半月よりもふっくらとしたラインを持つ、高いところまで上りきった月が、
柔らかい光を放ちつつ見守ってくれているようで。
心強さを感じて、その月を見ながら駆けていた。




家には灯りがついていないようだった。
本当に泉はいるのだろうか。
たった徒歩5分の道のりでも、その間に事故にでもあったのではないかと
過ぎる不安はドアのカギが開いていたという事実に辛うじて払拭された。
だが家の中に入っても真っ暗で。
「泉っ!」
名を呼びつつ、更に通る場所の灯りもつけつつ泉を探す。
オレの部屋の灯りを点けた瞬間、床に転がっている泉を見つけた。
触ると肌の熱さにまず驚いた。
「泉、泉っ!!」
声をかけたら、泉はその目をうっすらと開けた。
抱え上げてその細い身体を揺すった。
大丈夫なのか、ちゃんと生きてんのか。
「泉!」
「は……まだ」
小さな声で紡がれた自分の名に、たまらなくなって抱き締める。
「まだ夜なのに。何で、……ここに、いんだ?」
「それはこっちの台詞だバカ!!」
思わず怒鳴ってしまった。
もう自分の気持ちは抑えられずいっぱいいっぱいだったのだ。




「何にも書いてないメールが気になって、返事出しても携帯に反応なくて。
電話かけてもお前ぜんっぜん出ねーし!どれだけ心配したと…っ。
打ち上げ必死に抜けてお前ん家に行ったら、オレんトコ行ってるって言われて慌てたぞ!」
でもたくさんの人の優しさに支えられ、戻ってきた甲斐はあった。
こんな状態の泉を放っておかなくてよかった。
泉の身体は強く揺れて、大きな黒い瞳を持つ目からは涙が溢れ出す。
「浜田、浜田ぁ」
「お前、身体すげー熱い……熱あんのか」
「えっ、うえっ、……浜田ぁ」
オレに縋りついて、泉は腕に腕を絡めてくる。
何かあったのか。何で泣いてんだ。
「終わってしまうのが怖いよう。お前何処にも行くなよ。
オレの傍にいるって、言ったのに」
「……泉」
「ずっと傍にいるって、オレにそう言ったのに!」
泣きながら泉はそう叫んだ。
自分に向かって振ってきた言葉を受け止めつつ、
湧き上がる衝動のままに唇を重ねた。
柔らかい唇も吐く息も泉の言葉も、何もかもが熱かった。




泉は「終わる」ことに怖がっているのだと、
オレはこの時にやっと初めて実感できたのだ。




「ずっと傍にいる」と約束したのはいつだったか。
記憶を辿ってみると、冬にはなっていた。
年もたぶん明けてはいた。
気温が下がり風も強く吹いていて、寒さ厳しい夜だった。
泉にしてはめずらしく約束を求めてきたので覚えている。
なのに実際はどうだ。
教師になって初めての学年末で、いろんなことに日々は忙殺され、
泉が心に何を抱えているのかも、
どんな気持ちで卒業を迎えていたのかも分かっていなかった。
「傍にいるよ。お前だけが、オレを縛っていい」
何か言ってやりたくて、それだけを言葉にすると、
泉は1度目を開けて、その目を細めてふわりと笑った。
そのまま瞼を閉じて、泉の強張っていた身体の力は抜けていった。




愛しくて、オレを見つめる笑顔が愛しくて。
ずっと傍にいたいと思うし、傍にいてほしいとも思う。














泉を抱きかかえてベッドに移して、汗もひどくかいていたので、
熱い湯で絞ったタオルで身体を拭いてやり、オレの服しかなかったが、
とりあえず着替えさせた。
冷やしたタオルを泉の額に乗せる。
家の近くの自販機でスポーツ飲料をいくつか買い、
それからシャワーを浴びて、泉の横に潜り込んだ。
すぐには眠れそうになかったので、泉の顔をぼんやりと見ていた。
泉とこうやって一緒に眠るのは、一体何年振りだろう。
手を伸ばし、指先で泉の頬や顎や唇に軽く触れていく。
そうやって触れているうちに、自分にも穏やかに眠りが訪れていた。




「……まだ、はまだ」
呼びかけの声に、目を覚ました。
カーテンの掛かる窓越しに外の様子を伺ったが、まだ夜は明けてはないようだった。
ベッドサイドのシェード型スタンドの明かりが点いていた。
「喉が渇いた。これ、もらってい?」
スポーツ飲料のペットボトルがオレの目の前でひらひらと振られている。
「ん、いいよ」
「ありがと」
上半身を起こした状態で、泉はペットボトルのフタを開け、一気に飲み干した。
あれだけの熱があったのだ。喉も渇いていただろう。
「まだ冷蔵庫にもあっから」
「うん、後でまた。……あ、でもオレ、帰んないと」
その発言に驚いてオレも身体を起こした。
「シンデレラみたいなこと言うなよ。ちゃんと泊まらせるってお前の親にも言ってっから。
つーかそんな熱ある状態でお前をこのまま帰せねーぞ。おとなしく寝てろ」
「やけにだるいと思ったら熱出てたのか。着替えさせてくれたの……お前?」
「他に誰がいるんだ誰が」
「……ありがと。飲み会にしちゃ、えらく帰ってくんの早かったんだな」
「……バカ野郎」
呟きつつ、オレは泉の携帯電話を本人に差し出した。
首を傾げながらも受け取って、開いて、そして泉は驚いていた。
「う、わ!なんだこりゃ!!」
オレからのメールの件数も電話の着信も結構な数になってたはずだ。
「空メールなんか寄越しやがって。……あんま心配させんな」
「……ごめん……」
「熱、まだ下がりきってないだろ、寝てろって」
泉はしばらく沈黙した後に、やっとまたベッドに横になっていた。
オレに背を向けて。
恥ずかしいんだなと分かってはいるけれど、寂しくなってしまう。
「……浜田」
「ん?」
「お泊りしちゃってんだよなあ、今」
「ああ、そうだな」
「もう中学卒業しちゃったからさ……、お前の、好きにしていいから」
「へ?」
「ああもう、分かんねーのかよっ!」
こちらに顔を向けて、泉は怒鳴った。
真っ赤になっている顔は、熱のせいだけではないようだ。
掛けていた薄い羽毛布団を頭から被って更に泉は言った。
「オレの、こと、好きにしていいからってゆってんだけど……」
言ってる意味がゆるゆる理解できて、オレの顔も熱くなってきた。
「意味分かんねーなら、別にいい!オレは寝る!」
「ちょ、ちょっと待って泉、」
「もういい、今のは忘れろ!」
布団ごと抱え込んで泉を抱き寄せる。
なんでこんなに可愛いんだろうなと思う。
ばたばたともがいている泉を抱き締めつつ、オレは言った。
「4月になったらね」
「……」
「ちゃんと分かっていないようだから言うけど、
卒業式は終わっても3月いっぱいまではお前まだ西浦中の生徒だから」
「……え?」
「え、じゃなくて」
「マジ?」
腕の力をぬいたら、布団の中から泉が顔を出してきた。
可愛さのあまり、頬が緩んで笑みが漏れる。
「春休みが楽しみだなあ。4月になったらまた泊りにおいでよね」
「……!、今日は、襲うなよっ」
「はいはい」
真っ赤な顔の泉の頬に、オレはちゅ、と軽く口付けた。
「……楽しかった中学生活が終わることが、怖かった?」
黙って泉は頷く。
「終わりたくないってことは、幸せを手放したくないってことだとオレは思う。
西浦で泉はたくさんの幸せの中にいたんだね。
人生の中で、環境はずっと変わって、終わっていくものもあるけどさ。
きちんと終わって、新しい幸せを掴んでいくのも悪くないと思うよ」
「……うん」
泉の気持ちは分からないでもないのだけれど、敢えてそう言ってみる。
「ただ、オレとの関係は絶対に終わらせてはあげないけど」
「浜田」
「オレの傍にいて、泉」
オレを見つめてくる瞳が揺れる。
「はま、」
名を呼ぶ間もなく、オレは泉の唇を塞いだ。
泉の熱をもっともっと感じたかった。









『そんな簡単に、終わらせてなんかあげない』
泉から告白された時に、自分が言った言葉を思い出す。
終わることに怯えているのは、本当はオレの方だった。
終わらせてしまったものも、無くしてしまったものもたくさんあって、
オレはそれらをすべて記憶の底に置いてきたけれど。
今のオレにとって泉の存在以上に幸せを感じるものはなく、
絶対に、絶対にこれだけは手放したくはなかった。




終わることに怯えてしまうほど、
きっとオレも泉も、お互いの存在に幸せを感じているのだ。
いつか人生の時間が終わってしまうだろうその時までは、
2人の関係は終わらないで、ずっとこのままで在ったらいいと思う。














卒業式の日は、突き抜けるような青空だった。
その夜の空には、満天の星が瞬いていた。






世界はとても、キレイだった。


















浜田、お誕生日おめでとう!







BGM : ACIDMAN 『UNFOLD』








2007/12/19 UP





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