月篠あおい Side














終わらないでといくら願っても
過去はすべて現実から切り離されて
思い出にただ変わっていく











『over』 前編

(2007年11月29日泉お誕生日記念SS)








物事を終わるべきところで
きちんと終わらせたいと思ってしまうのは、
その実、一番自分が「終わる」ということに
怯えているからに他ならない。






親衛隊の解散を決めたのはオレ、泉だった。
卒業式の数日後にあるクラスの集まりで、阿部っちに記念のプレゼントを渡し、
そこで解散式もすると宣言したのは冬だった。
隊長は三橋であったけれども、
実質親衛隊を動かしていたのは9組の他の面々で。
「おしゃまな分度器」と変な名のついた、
親衛隊携帯サイトのチャットルームで大体の意見を聞いて決定となった。
サイトだけでも残そうかという話にもなったのだが、
実際サイトを作ったヤツは自分のサイトやミクシの方で手一杯だったので、
この際きっぱりと終わらせてしまうことにした。
フェードアウトして忘れ去られてしまうよりは、
惜しまれつつでも「楽しい時間はここで終わりました」と
区切りを入れたほうがいいのだとオレは分かってはいた。
それって、有終の美、とか言うんだっけ?ちょっと違うかな。
兎にも角にも、自分で終わりの主導権を握ってしまいたかった。
でないと。





でないと、オレはきっと、
楽しかった時間に囚われたままで何処にもいけなくなる。





浜田との関係も、そうだ。
幼馴染に近い、でも違う曖昧な関係であり、
いつまでも曖昧なままか、それとも飽きられて切られてしまうのか、
その時をただ待つのが不安で怖くて、だから。
終わってしまう前に、終わらせようと思ったんだ。
「そんな簡単に、終わらせてなんてあげない」と浜田は言った。
オレにとってその言葉は「救い」になる。
言葉に甘えてどこまでも縋りついていたかった。
もしかするとそれを誰もが執着と呼ぶのかもしれない。










卒業式の日は、突き抜けるような青空だった。




今日で何もかもが終わりではない。
3年9組にとっての大イベントが数日後のクラスの集まりで
それを控えていることもあって、皆の表情は明るかった。




親衛隊の賭けの件は、こっそりと生徒達に広まっており、
りんごを賭けなくても「阿部っちは泣くだろうか」とあちこちで話題に上る。
賭けに参加した「泣く」派と「泣かない」派で話し合いも進んでおり、
「おしゃまな分度器」が大盛況で、プレゼントの内容もほぼ決まったらしい。
買出し部隊も決定している。
プレゼントを見て阿部っちがどんな反応をするのか、当日が本当に楽しみだった。
隊長である三橋が解散式の最後に、
浜田に作ってもらった親衛隊の旗を阿部っちに返す。
楽しかった日々はその瞬間に思い出になる。
それで本当に中学生活の何もかもが終わってしまうのだ。
オレは「終わる」怖さを抱えて今日までを過ごしていた。
浜田は教師になって最初の年度末でとんでもなく忙しそうで、
寄りかかることもできないでいた。




卒業式では職員席の反対側に9組の座席があったので、
泣いたかそうでないかの判定は田島先生にお願いすることになっていた。
式の終了後、卒業生退場の際、9組が職員席の近くを通る時に
田島先生が満面の笑顔でこちらに向かってVサインを出す。
どよめく9組の面々に、阿部っちの鋭い目線が飛んできた。
周りの先生方には田島先生のいつものパフォーマンスと思われていたが、
親衛隊はその本音を知っている。
田島先生は親衛隊の賭けで「阿部先生は卒業式で泣く」ほうに、
びっくりするほど多くのりんごを賭けていた。
「田島先生と同じじゃ盛り上がらないから」という理由で、
「泣かない」方に賭けた水谷先生にも実はびっくりしたのだが。
負けるのを承知の上で参加する、水谷先生のそれは優しさだったのだろう。
阿部っちの方を見ると、どうやら三橋を目で追っているようだ。
ああ、彼を泣かせたのは三橋との別れかもしれないな、とオレは思う。
そういえば三橋にはとうとう訊けないままだった。
「離れることが怖くはないのか」と。
阿部っちの気持ちのほんとのところは見えなくて、
抱えた不安も大きいだろうに受験や卒業前の忙しい日々を乗り切っていた。
三橋のその本質は、見かけよりもずっと強いのかもしれない。









授与した卒業証書はその場で一度返して、
卒業式の後の学級取り扱いで1人1人に再度手渡される。
三橋は受け取る時に「ありがとう、阿部くん」と満面の笑顔で礼を述べていた。
教室の後方には保護者もずらりと揃っている、その中で。
明るくしていようと無理をしてるのは見て取れたが、
その頑張りをオレは評価したかった。
最後に阿部っちの話があって、もうその時には女子の半数が泣いていた。
もらい泣きしている親もちらほらいた。
ひとつひとつ阿部っちがこの3年9組の1年の思い出を辿っていく。
一通り話し終わった後、「このクラスの生徒たちは最高だった」と
声を詰まらせつつ言い切って、そこで泣いているのに気が付いた。
次の言葉が続かずただ泣いている阿部っちに、教室内が静まり返り、
その後ゆっくりと皆の涙の湿気と漏れる嗚咽がこの場を満たしていった。
オレは泣かないで、顔を上げ背を伸ばし、しっかりと阿部っちを見つめていた。
三橋も泣いてはいなかった。
唇を噛みしめて両の拳はしっかりと握りしめて、
俯いて震えてはいたけれども、それでも。




卒業式は次の世界へ羽ばたいていくための儀式なのではないかと思う。
心に区切りを入れるための。
きちんと終わらせて、すべてを思い出に変えて、
オレ達は人生の道を前に進んで行かねばならないのだろう。
ただ今回に限っては、数日後の親衛隊解散式がその儀式だった。
「ありがとう」は、その時にちゃんと言おうと決めていた。
阿部っちの生徒でこの1年幸せだったと言いたかった。








学級取り扱いが終わって、
後は先生方に校門のトコロで見送りを受けて帰るだけだ。
荷物は全部親に預けて、阿部っちに会いに行くという三橋と別れ、
3組の沖を探しに出たところで浜田に声を掛けられた。
「泉!」
長身の浜田にスーツ姿は映えて、滅多には見れないがかっこいいなと素直に思う。
見惚れてしまいそうで、慌てて頭(かぶり)を振った。
「これからどうすんの泉」
「ああ、一度家帰って着替えて、そっからいつもの連中と溜まってっけど」
「何処に?」
普段自分にあまり干渉しない浜田にそこまで訊かれた時点で、
何故今日に限って訊いてくるのかその理由に思い至った。
市内の公立中学校はそのほとんどが今日、卒業式だ。
午前中でその式も学級取り扱いも終わり、
午後からは卒業生が羽目をはずして一気に街へ繰り出して行く。
「……場所、多分ファミレス。誰かどっか早くから予約したって言ってた。
20人くらいになっから」
浜田は安堵の息をついていた。
「ファミレス占拠くらいはいいけど、カラオケボックスは先生達張ってっからな。
ゲーセンとかショッピングモールも見回り対象になってっし。
羽目をはずしすぎて、数年前に高校合格取り消しになったヤツもいるから慎重にな。
卒業生はともかく、在校生が混じってっから困りモンなんだよなあ」
「オメー、午後はずっと見回り?」
「そ、保護者さん達と。大変なのよ、がっこのセンセは。
今日は1日ばったばただな」
「ふーん……」
「卒業おめでとう。いっぱい楽しんでくるんだよ」
頭を撫でられて、子ども扱いされた気分になってそれがイヤで黙り込む。
「……泉?」
「そっちこそ、……あんま無理すんなよ」
「ありがと。明日は遊びにおいで」
それだけ言って、手を振ってオレに背を向けて、浜田は駆けてった。
遠ざかるその背を、ぼんやりと見つめ続ける。
「いずみ〜っ!」
呼ばれた声に振り向くと、沖がこちらに近付いてくる。
「おう」
ここにいるぞ、と、手を挙げた。




どちらかというと非日常な1日で、いろんな出来事に気が紛れて、
だから意識の奥に抱えていた重いものに気が付かなかった。











例えば、イベントの後の終了の放送とか、
そういう終わりを告げるものが、子どもの時から苦手だった。
自分の気持ちはまだ終わっていないのに、何故勝手に終わっていくのか、
それがどうしても納得できなくて親を困らせた昔の記憶もあった。



『楽しかった時間は、もうお終いです』



まだ終わってない、と足掻いているのが今の自分の気持ちで。
でも確実に、親衛隊解散式を最後に終わってしまう。
結果はまだだが一緒の高校を受験している友達も多く、例え学校が離れたとしても
付き合いを止めるとかそういうことはないにしても、
無くなってしまったのは、思い出になってしまったのは学校という楽しい場だった。
もちろん十分に覚悟はしていたが、
それでも実際にその時を迎えるとやはり穏やかではいられない。




仲間達とのファミレスでの1番の話のネタは、やはり賭けの結果だった。
9組の面々は、阿部っちが自分達のために泣いてくれたことがうれしくて、
ここ1年の思い出話に花を咲かせていた。
夕飯は卒業祝いのためかご馳走で、満足できる1日だったと思う。



『楽しかった時間は、もうお終いです』



そして、反動が来る。




自分の部屋に入った途端に、世界が色を無くしていった。
視界の下方から闇に覆われていくようで、そこから一歩も動けない。
巣食われてしまう。
楽しかったこの3年間の情景が次から次へ脳裏に浮かんでは消えていく。
ああ、阿部っちも三橋も皆も思い出す表情は笑顔で、それが余計に切ない。
まだ解散式が残ってるなんて、そんなのは誤魔化しに過ぎないと
どこからか声がする。
終わったのだ。それは紛れも無い事実だ。
3年9組の教室はもう自分達のものではなく、
阿部っちも4月からはまた新しいクラスの担任になるのだろう。
孤独感がひたひたとオレの中を満たしていく。
このまま飲み込まれてしまうのだろうか。
切り離されてしまい思い出になってしまった過去と、
見えない明日との狭間で動けなくなっていく。





怖い。




怖い。
自分の手の、掴まるところがない。





だから縋りついていたかったのか。



浜田に、会いたかった。






自分を何処までも受け入れてくれる、
浜田に会いたかった。











「浜田の家に行く」と親に伝えて、上着を羽織って外に出た。
春が来たといってもまだ3月で、夜の戸外はかなり冷え込んでいる。
オレに向かって笑う浜田の顔が見たくて、歩いて5分の距離を駆けていく。
昼との寒暖の差に身体を震わせるが、着く頃には身体も温まっているだろう。
だが息を切らして駆け込んだ浜田の家には灯りが着いていなかった。
「あれ」
そういえば。
卒業式の日、先生達は夜、打ち上げだと言ってなかったか。
行事の度にその夜に宴会やってる気がするのだが。
「明日は遊びにおいで」と浜田も言っていた。すっかり忘れていた。
「浜田、いねーのか。……どうすっかな」
このまま、帰りたくない。
またあの闇に、今度は身体ごと取り込まれてしまいそうで怖くて帰れない。
浜田がいつも家のカギを隠している場所は知っていた。
なので、その場所からカギを取り出してドアを開ける。
いつも自分が訪れるこの場は、夜には灯りが点いていて、
美味しい飲み物やお菓子が用意されていて、浜田の笑顔が傍に在った。
靴を脱ぎ捨てて、家の中に入る。
勝手知ったる浜田の家。
灯りは点けず、いつも自分が居る場所に膝を抱えて座り込んで、
そして携帯電話を取り出した。
「早く帰って来い」とメールしたら、迷惑だろうな。
新任の教師である浜田は、いつもいろいろな雑用を押し付けられている。
宴会だったら、芸のひとつも披露しなきゃいけないし、
先輩教師からは楽しくいじられるし大変だと聞いている。
携帯電話のディスプレイだけが唯一の灯りだった。
浜田宛の新規メールに「会いたい」と打ち込んでは文字をひとつずつ消す。
そんな風にいじっているうちに、空メールを送信してしまった。
「やべぇ」
慌てたオレだが、忙しかったらメールなんか見る暇ないだろうし、
空メール送って何やってんだと思われるだけなので、
あまり気にしないことにした。










主の居ない部屋は静かで寂しい。
なんだか、すごく寒い。
身体の奥から寒気が上ってきて、自分で自分を抱き締めた。
寂しい。
寂しいんだ、浜田。
居て欲しい時に傍に居ないなんて、そんなのねーよ。




浜田のことを思うと、胸が熱く、熱くなって涙が零れた。
オレは涙を拭うこともせず、そのまま床にごろりと転がった。
眠気も緩やかに訪れて、意識がゆっくりと夜の大気に沈む。




眠って起きたら、朝になったら、
……浜田は傍に居るかなあ?














「泉、泉っ!!」
浜田の声が、近くで聞こえる。
ボケた頭で浜田からの電話に出たのだろうかと、
握り締めていたはずの携帯電話は何処にやったのだろうかと腕を伸ばして探す。
目をうっすらと開けると、部屋の灯りは点いていて明るかった。
まだ、夜だ。
身体を揺すられる。
「泉!」
「は……まだ」
名を呼んだ次の瞬間、オレは浜田に強い力で抱き締められた。




「まだ夜なのに。何で、……ここに、いんだ?」
「それはこっちの台詞だバカ!!」
いつもはオレが何を言っても何をしても平然としている浜田の、
滅多に聞かない怒鳴り声にただ驚く。
「何にも書いてないメールが気になって、返事出しても携帯に反応なくて。
電話かけてもお前ぜんっぜん出ねーし!どれだけ心配したと…っ。
打ち上げ必死に抜けてお前ん家に行ったら、オレんトコ行ってるって言われて慌てたぞ!」
視界の中、自覚できた傍に在る浜田の姿に、塞き止められていた想いが溢れ出す。
オレはぼろぼろに泣いてしまっていた。
「浜田、浜田ぁ」
「お前、身体すげー熱い……熱あんのか」
「えっ、うえっ、……浜田ぁ」
浜田に縋りついて、離れないように腕に腕を絡める。
「終わってしまうのが怖いよう。お前何処にも行くなよ。
オレの傍にいるって、言ったのに」
「……泉」
「ずっと傍にいるって、オレにそう言ったのに!」
泣きながら叫んでしまっていた。止まらなかった。
何を言いたいのか自分で分からないままに言葉を撒き散らす。
えらく理不尽なことを言っているのは、それは分かってはいた。
意識ははっきりとはしていなくて、感覚はひどく曖昧なままで。
視界はぼんやりと揺らいで、浮遊感すら覚えている。
その中で。








重ねられた浜田の唇の感触だけが、
泉の意識を辛うじて現実に引き止めていた。




















泉、お誕生日おめでとう!


『over』後編(浜田視点)に続きます。





BGM : ACIDMAN 『UNFOLD』








2007/11/29 UP





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