月篠あおい Side













約束を


約束を、した。








『太陽との約束』
(「西浦中学校物語」Afterwards)
(2007年10月16日田島お誕生日記念SS)








「母校」という言葉には、懐かしさが付きまとうのだと知った。





在学している時間からそう呼んでも差し支えないらしいのだが
やはり卒業してからのほうが、その呼び名がしっくりくるような気がしている。
懐かしき母校、西浦中学校。
たぶんこれから一生抱えていくだろう、その愛着と嘗ての幸せな記憶。
卒業してまだ数週間しか経っていないのに早速こうなのかと、
花井は西浦中学校の校舎を見上げ、頭をかきつつ笑みを浮かべた。
休日でも部活動が行われており、あちこちから聞こえてくる音に、
後輩達の気配に、夕刻が迫っても学校全体が賑やかだった。
進学した高校には制服がなく、
私服でこの懐かしい地の敷地内にいることには慣れなかった。



空は西方から徐々に朱色に染められていく。
穏やかに、春は過ぎていこうとしている。





ピロティーに足を踏み入れるなり、阿部に掴まってしまった。
その時から、やーな予感はしていた。
「おお、花井。いいトコに来た!」
校舎の2階から窓越しに降ってきたのは、
在学中から先生方によく言われ続けていた台詞だった。
だが「いいトコ」と言われた時に、自分にとって良かったためしはほとんどなく、
生徒会長時代にはいろいろと先生方に振り回されたりもした。
1番振り回してくれたのは、今日学校で待ち合わせをした誰かだったりするのだが。
渡り廊下の1階まで駆け下りてきた阿部が黒い笑顔で近付き、花井の肩を叩いた。
「田島先生が待ってるぞ。1人で奮闘してるから、助けてやってくれ」
「え?」
「これでなんとか間に合いそうだな。生徒指導室にぶち込んでるから、後よろしく」
「はあ…」
「オレは部活の方にいるから、何かあったら呼んでくれ」
「あ、はい」
「逃がすなよ!」
手を振り笑顔で去っていく阿部を、花井は呆然としつつ見送った。
使えるものは卒業生でも使え、ということなのだろう。
絶対に逃がしませんよ、…とは思いつつも言えないでいた。





「田島先生っ!」
花井は嘆息する。
何故に卒業してからまで、大切な母校のそれも生徒指導室で、
教師に向かって怒鳴っていなければならないのだろうか。
目の前の彼は、相変わらずの彼だった。
生徒指導室の机いっぱいに広げられた、印刷はしたが綴じられる前の研修会資料の山。
中型ステープラーが3台ほど置いてあるが、部屋の中には田島しかいなかった。
イスに座って机に顎を乗せてだれている。
「うにー」とかなんとか、声も出ている。
確かに生徒会では総会資料作成などで、こういう作業には慣れているけれども、
それだけじゃなく阿部は花井を田島のお守り&監視役としたかったに違いない。
「もしかして阿部先生にオレと待ち合わせしてるって言ったんですか?」
「言った言った。でも逃げれなかった。何でこんなすごいことになってんだろう。
やっと印刷したんだけど。全部終わんないと帰れないよなー、やっぱ」
言ったのかよ……と、再び花井は嘆息する。
「何人ごとのような言い方してんスかあんた。誰の仕事だと……」
「会いたかったよ、梓」
突然に名を呼ばれて、頬が自然に赤くなる。だがそんな場合じゃない。
「会いたいって言われたから、うれしくて、来たんだ。
……くっそ、さっさとこの辺終わらせっぞ!」
こうなりゃヤケだ、とことんやってやる…と、どこかで変なやる気が湧き上がる。
「りょーかーいっ!梓がんばれー!」
明るく両手を挙げた田島に向かって、花井は再び怒鳴った。
「あんたの仕事だ、あんたの!!」
田島は生徒指導室の床に転がって、屈託のない笑顔で笑う。
子どもじゃないんだから転がるなよと思いつつも、こちらも笑顔になった。




ずっと好きで。好きで好きで好きで。
その太陽のような笑顔が好きだった。
それは今も変わらずに。
自分の内に抱えている燃えるような思いも、何も変わってはいなかった。








家から乗ってきた自転車を置き去りにしたまま、
田島の車で学校を出たのは夜の帳が下りてしまった後だった。
「あれだけ手伝ったんですから、メシくらい食わせてくれるんでしょう?」
「もちろん!」
助手席に座っている花井の坊主頭をつるりと撫でて田島は笑う。
「……で、ドコ行くんスか?」
「オレん家!」
「え」
「連絡してある!みんな待ってっから!」
大家族なんだ、と、そんなことを聞いた記憶があった。
田島の家で、家族の皆に囲まれて晩御飯。緊張感が走る。焦る。
でもうれしくて、何と言っていいかわからない複雑な感情を花井は抱えていた。
膝に置いた手に視線を落とす。
「いつ来てもいいように、ちゃーんと紹介しておきたかったんだ」
「…?」
「もうすぐ着くから」
言われて花井は顔を上げた。
高校に入学して、最近やっと見慣れてきた風景が目の前に広がっていて、おおいに慌てた。
「ちょ、何っ!」
「言ってなかったっけ?西浦高校から、チャリ1分なんだけど」
「もしかして……卒業生だったり……」
「する」
「……マジ、かよ」
「だからいつでも遊びに来ていっからな!」







田島家は広い部屋に、それでも入りきらないほどの大人数だった。
ひいじい、じいとばあ、親とニーチャン、ニーチャンのヨメに姪っ子2人、
近くに住んでるちぃネーチャンと甥っ子……と、田島は家族の紹介をしていく。
上のネーチャンとちぃニーチャンは家を出て遠くにいる、と言っている。
これまた大きな飯台に次々と並べられる大皿に大盛りの美味しい料理の数々。
花井の家は集合住宅で、祖母と暮らしているとはいえ、それでも6人家族なので、
さすがにここのように宴会のような晩御飯にはならない。
こんな環境の中で末っ子として育ってきたんだな、と
田島の自由奔放な性格がどの辺りで形成されてきたのか分かるような気がしてきた。
高校生に酒を勧める兄を教師らしく叱り飛ばし、田島は楽しそうにビールを呷る。
熱燗の日本酒も出てきた。美味そうに飲んでいる。
早く大人になって、一緒に酒が飲めたらいいなと花井は思う。
幼稚園くらいの年の姪っ子と甥っ子たちが背中に膝の上にとまとわりついてきて可愛い。
自分の双子の妹が小さい時、こんな感じだったな。
いろいろ質問攻めにもあってしまった。
昔のやんちゃな田島の逸話も、たくさんたくさん聞いてしまった。
周りから弄られすぎて、だんだん花井の目の前でぶーたれていく田島だったが。
「花井くんは西浦中時代生徒会長だったのね。悠がいつも迷惑かけてたでしょう?」
とは田島母。
まさか肯定もできず、曖昧に笑顔でその場を誤魔化す。
「お母さんっ!生徒の前でそりゃあないぜっ」
『お母さん』と呼ぶ田島が可笑しくて吹き出すと、
田島は立ち上がりこちらに寄ってきて、花井の手を引いた。
「部屋、行こ!ここにこのまんま居ると延々おもちゃにされちゃう」
家族内爆笑の渦の中、あかんべえをして田島は楽しい団欒の場を後にする。




2階に上がり、6畳間の畳敷きの、お世辞にも片付いてるとはいえない部屋に通される。
難しい本なんかもあって、ちゃんと教師なんだよなと失礼なことを思ってしまった。
「そこら辺座ってていっから。なんか飲むもん持ってくる。酒が足んねぇ」
「明日キツいですよ。ほどほどにしといたらどうですか?」
「酔いが足んねぇとダメなんだよ」
そう言って田島は階下に降り、しばらくして戻ってきた。
酒を取りにいったはずなのに、お盆の上には湯飲みが2つ。
苦虫を噛み潰したような田島の顔。
見た目にも大分酔っているようで、さすがに家族からこれ以上の酒は止められたのだろう。
先程のハイテンションは何処へやら、
田島は片膝を立ててそこら辺の物を寄せながら腰を下ろした。
熱い日本茶をすすりつつ、向かい合ってやっとゆっくりと話ができたので
大賑わいの家族に囲まれるのもいいけど、これはこれで静かでうれしい時間となった。
「大家族っていいよなあ。これだけ人数多いと、就職して家を出るとか考えなかったの」
「ああ、まあ、先では出るだろうな、いろいろ狭すぎるし。……だけど今は出れない」
「何で?」
田島は花井の顔は見ずに、項垂れて視線を落としたままだった。
思ったより声が真剣なのに気付いて、花井はすぐに黙った。
田島が再び口を開くのを待った。
「オレがここに居るのは、ひいじいの望みでもあるから。
通えない程遠いところに異動になったら、さすがにしょうがないけどな。
ひいじい……ずっと入退院繰り返しててさ、傍、離れたくねーんだよ」
「……」
「大学時代は家出てて、オレはあんまここに帰ってもこれなかったんだけど。
その間にひいばあ病気になって、とうとう最期をみとることもできなかった。
ちっちゃい頃からオレ、あんなに可愛がってもらったのに……オレは、
オレは『ありがとう』も『だいすき』もちゃんと言ってあげることが出来なかった。
一番辛い時に傍に居て、顔を見せてあげることすら出来なかったんだ。
スゲー悔しかったし、自分が情けなくなった」
真剣な面持ちで、顔を上げてこちらを見ている。
「田島、先生」
「……約束を、したんだ」
「……?ひいじいさん、と?」
「違う。お天道様」
そう言って、田島は東側の腰高窓を見上げた。
見上げつつ茶をすする音だけが部屋には響く。
今は夜で、青い厚いカーテンがその窓にはかかっていた。
「お天道様」……って、太陽のことだよな。
きっとあの窓から昇ってくる朝日が見えるのだろう。
古い言い回しを使うことがが田島先生には割と多くて、
それはきっと何世代もの大家族の影響なんだなとは思う。
約束ってなんだろう。問おうとしたところで田島先生が言葉を続けた。
「ひいばあの葬式の朝に、お天道様と約束をした。
後に悔いを残す生き方だけはもう絶対にしないって」




湯飲みをお盆の上に戻して、膝立ちのまま1歩、2歩と花井は田島の方に近付く。
腕を伸ばして届くくらいまで近付いて、田島の湯飲みを取り上げた。
その湯飲みもお盆の上に乗せ、そこから再びまた身体を進ませ、
包み込むように田島をそっと抱き寄せた。
「梓」と少し掠れた声で、名を呼ばれた。
胸の奥で何か疼くものがある。
田島はいつも後悔のないように突っ走って生きてきたのだろうか。
生徒会長だった1年間は田島に振り回されっぱなしだったよなあと、
今はもう過ぎ去ってしまった、記憶に残る思い出の時間のことを思う。
「……だから……」
接続詞は田島の口から突然に零れて。
次の瞬間田島も膝立ちになり、花井の背中に腕を回してきた。
強い力でぎゅっと抱き締められ、花井の胸に田島の額は押し付けられたので息が詰まった。
「だから、オレは今は家を出ないと決めてる」
「ああ、だよな」
「それに……」
「それに?」
「お前が、好きだ」
それは搾り出すような声だった。
先程とは違う感覚で花井の息は詰まる。
初めて田島からもらった「好き」の言葉は鼓膜を通して花井の中に入り込み、
ゆっくりと花井の心を温かいもので満たしていく。
顔を離した田島は、花井に向かって笑みを見せると目を閉じてそのまま軽く口付けた。
「お前を好きになったことだけは、これっぽっちも後悔はしてない」
「……田島先生」
「先生ってゆーな!今はもう先生と生徒じゃないからな!」
「じゃ、田島」
「うん」
「オレも、田島が好きだから」
2人、ただ見つめあった。
田島はにししと笑うと、も一度ぎゅっと花井にしがみついた。
胸に摺り寄せられる田島の頬の温かさがうれしい。
そのうれしさを言葉にはできなくて、田島の髪を何度も撫でた。
幸せな、幸せなひとときだった。







今確かに自分は、田島を包み込んで抱いてはいるけれども、
その心までちゃんと包めているだろうか。
否、だというのは分かる。
まだまだガキで、中学を卒業したばかりの自分は人生経験も乏しく、
身体は大きくなったけれども、人間としての器は完成されていないと思う。
田島のすべてを包み込むことができるくらいに、器の大きい人間になる。
これからきっと。努力する。












花井は目を伏せる。
そう約束しようと、今は見えない太陽を思った。


















田島お誕生日おめでとう!!


カプアンケートご協力御礼作品。
ありがとうございました。

「西浦中学校物語」その後のお話です。
番外編扱いとなります。







私の書く世界を好きだと言ってくださる方へ。
「ありがとう」と「だいすき」の言葉を。




2007/10/16 UP








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