月篠あおい Side














宵闇は赤光を覆うように存在している
赤い赤い心の色は
そっと隠されている










『赤光(しゃっこう)』
(『よ(宵闇)』の続き)
(2007年6月8日栄口お誕生日記念SS)








再び、奇跡は起きなかった。
西浦中学校という場から、離れなければならなくなった。





「異動で学校が変わっても、オレの傍にいてよ」
灯りもついてない、夜に向かう時間の図書準備室で
オレ、栄口は、抱き締められながら水谷先生のその言葉を聞いていた。
涙も嗚咽も止まらない。
神様もサンタクロースもここ、西浦中学校で
もう1年水谷先生とと過ごす時間を与えてはくれなかった。
まだ内示段階ではあるが異動を告げられたのが今日の夕方で。
校長室から顔を出した校長に自分の名前を呼ばれたときには泣きたい気持ちになった。
この学校での勤続年数を考えたら、異動は十分に考えられた。
水谷先生が何処かからそれを伝え聞いたのが、きっと先程のことだろう。
ひとり、図書準備室で泣いていたところに現れたのだ。
「好きなんだ。好きなんだよ」
それは水谷先生からの2度目の告白だった。








1度目は酔った勢いで告白されて、オレはあまりにも動揺して返事をしなかった。
本気がどうかも分からなかったし、自分の気持ちも見えていなかった。
そのままうやむやになって2人の時間は静かに、関係は曖昧なままに過ぎていった。
過ぎていく時間の中で、彼の気持ちは変わってはいかなかったようだった。
緩やかに変化していったのはオレのほうの気持ちで。
段々と好きになっていく自分の気持ちに戸惑いつつ、
このまま流されていくのもいいのではないかと思っていた。
西浦中学校という場で。楽しく時を過ごしてゆけるのならば。




異動を告げられた時に、まずふわりと笑う水谷先生の顔が浮かんだ。
「栄口先生」と自分を呼ぶ声が聞こえたような気がした。
悲しかった。



泣く場所を探したかった。








『来年も、ずっと一緒にいて』
クリスマスでの水谷先生のたったひとつの願いはこのままでは叶わない。
叶える事のできる術がひとつだけあることをオレは知っていた。
それはひどく簡単なことだった。
ただオレがが水谷先生を受け入れればよかったのだ。それだけだった。
けれど今更自分からどんな顔でその話を持ち出せばいいのかが分からなくて
では何も言えずにこのまま離れてしまうのかと思うと現実に耐え切れそうになくて、
図書準備室から見える闇に覆われつつある夕焼けの赤色を見ながら
堰を切ったように泣いてしまった。
こんなにも水谷先生のことが好きだったのだと、気が付くのには遅すぎたのか。





心はきっと赤い色に染められている。
自分が持つ、彼に対する気持ちの色だった。









水谷先生からの2度目の告白は、自分の嗚咽とその言葉で
息を止めてしまうことができる程にうれしかった。
痛いくらいに体は水谷先生によって抱き締められている。
自分も「好きだ」と素直に返せばいいのか。
簡単にそれが出来たら、どんなに楽になれることだろう。
言葉が出なかった。息も上手く出来なくて苦しかった。
涙だけが流れ続けていた。止まらない。
「このまま栄口先生をお持ち帰りしてしまいたいんだけど」
持ち帰るって、何処にだよ。
もしかしなくても、水谷先生の家に?
その前にお持ち帰りって何だよと、オレは水谷先生の肩に顔を埋めたまま、小さく首を振る。
「……だってオレのこと、少しは好き…だよね」
「なっ……」
「だって、栄口先生、泣いてんだもん」
「……」
「……こんなに、泣いて。見てしまうと辛いよ。
なんで泣いてるの。オレと離れるのが辛いって思ってくれたんじゃないの?
それとも、この学校がそんなに泣くほど好きだったの」
好きだったよ、お前がいて楽しかったよ。
お前の姿毎日見ていたかったよとは素直に言えず、オレはそのまま黙り込んだ。




「ね、持ち帰らせてよ、明日土曜日で休みだし、いいよね」
優しく響く水谷先生の声に流されてしまいそうになる。
オレは顔を上げ、声をようやく絞り出した。
「お前んとこ割と遠いだろ、オレの家と反対方向だろ?それに明日水谷せんせ、部活は?」
「もし栄口先生が異動になったら起き上がれないくらい落ち込んでるだろうと思って、明日は午後からにしてる。
大丈夫だよ、栄口先生も午後からだろ?車学校に置いてていいよ、明日送るから」
「……用意、周到だな」
「えへへ」
「褒めてないから、全然」
水谷先生は大きく息を吐いて、オレの肩を掴んで少し体を離すと頬に小さなキスをくれた。
「決めた、マジで今日は持ち帰る。
このまま栄口先生をひとりにしたくないし、オレも今日だけはひとりでいたくない。
後でほんとの気持ち聞かせてよ。オレ覚悟できてるからさ、ちゃんとダメならダメでそれを知りたいんだ」
「……分かっ、た」
「オレ栄口先生の荷物とってくるよ。その顔じゃこのまま職員室には顔出しにくいだろ?
どちらにしろ、もうすぐ戸締りの時間だし、管理棟以外は校舎閉められちゃう。
ここにも……長くはいられないから、ね」
黙ってオレは頷いた。
長くはいられない、そう、この西浦中学校という場で
水谷先生とゆっくり話すのはこれでもう最後かもしれなかった。
明日からの一週間はは残務整理や引継ぎなどで忙しさもさらに増すだろう。
ただでさえ年度末の忙しい時期なのだ。
気持ちの整理も今日のうちにちゃんとつけておきたかった。



シャツの袖で、涙を拭う。
自分にはちゃんと、自分の気持ちを伝えることのできる勇気があるのだろうか。















もうかれこれ1時間以上車に乗っているような気がする。
水谷先生の家に向かう道すがら、オレはあることに気が付いて頭の中が真っ白になって固まってしまった。
「どうしたの?」
問われても、首を振ることしかできなかった。
緊張と沈黙が2人の間には落ちていて、微妙な居心地のまま車はただ走る。



「着いたよ」と言われて車を降り、見上げたそこは大きなマンションだった。
「ここの5階がオレの部屋」
「……自宅通勤じゃなかったっけ」
「最近引っ越したんだよ。大体ここは姉貴夫婦のものだったんだけど、
旦那の急な転勤で空いちゃったからさ、オレがここに住んでんの。
西浦からはさらに遠くなったけど、頑張って通ってるよ」
「そ、そう」
「晩御飯たいしたものできないけど、食べてよね」
水谷先生はオレの手を取って歩き出した。
月も出ていない星すらも見えない夜の闇、
もう夕焼けの赤い色、その太陽光の残像さえも見えない。
自分の持つ、心の光の色だけが支えになっている。
まだ肌寒い春の初めのこの季節。
水谷先生の手の温かさが、うれしくて、切なくてたまらない。




まだ新しいのだろうか、水谷先生のお姉さんの趣味がいいのだろうか、
アイボリーとボルドーの色を基調とした、シックで綺麗な部屋だった。
シーフードカレーとサラダにスープをご馳走になり、その後ソファに移動を促される。
ふかふかのソファで食後のコーヒーを飲みながら、
他の先生の異動情報などを交わし合う。ついでに学年の仕事の話も少しして。
たぶん水谷先生はこのまま3年生の担任に上がっていくのだと思うので
引継ぎの話をしつつ、夜が更けていった。
このまま夜が明けてしまえば……と思うのは、自分が逃げていることに他ならない。




「……栄口、先生」
「……」
「手、握っていい?」
話の途切れた隙に、水谷先生がそう訊いてくる。
「いいよ」
オレがそう答えると、両手を包み込むように握ってきた。
そしてすぐにその手が震えだした。
水谷先生の大きな目からは涙の粒が今にも零れようとしている。
「さかえ、ぐち」
「……うん」
「気持ち……きかせて。
ここまで来てくれたってことは、そういうことだって期待しちゃっていいの?
オレは離れたくない。栄口と離れたくないよ」
握り締められた手の熱さに、ぽろぽろと流れ落ちる綺麗な涙を見て
オレも……泣けてきた。
「好きだ」という心にある気持ちが光る。その光は段々と輝きを増す。
赤い色をしているような気がしていた。
「水谷、せんせ」
「……」
「一緒に、暮らそう」







……あれ?



自分の口からぽろりと零れたぶっ飛んだ発言に気が付いた時には
水谷先生は呆けた状態で、でもこちらを凝視していた。
「……どして?」
いや、そう訊かれても。どう答えたものかと、オレは言葉を探し回った。
水谷先生の顔は真っ赤だ。自分の顔だってきっと赤いだろう。
「今の発言の根拠を述べてください。栄口、せんせ?」
「あ、お前意識して先生の『い』を切っただろ?何、人の真似してんだよっ」
「答えて」
「え……と」
体を後方にずらそうとしたら、先程より更に手に力を込められる。
そのまま両手を下に押し付けられ、ソファから動けない。
「逃げられないし、逃がさないから。答えて」
「……ああもう、水谷先生気が付いてないの?オレの異動先、聞いてるだろ?」
「異動、先?って、……!うあああっ!!」
飛び上がる勢いで水谷先生は驚いていた。
「ばか」
「今気付いたっ。こっからすぐじゃないか!」
オレの異動先の中学校は、隣の校区になってしまうけど、
ここ、水谷先生のマンションからはかなり近い距離にある。
来る途中で、オレはそれに気が付いた。
水谷先生の手の力が緩んだのを見てその束縛から逃れ、今度は自分から彼の首に腕をまわし、抱きついた。
「おばか。……そんなとこが、好き、だけど」
「……っ」
ぼろぼろに水谷先生は泣いていて、それでも笑顔だった。
愛しさに胸が痛くなる。
ちゃんと言えた。「好き」だって言えた。
もう十分だった。




2人抱き合って、しばらくそのままに時間を過ごした。
「ほんと、さ。栄口、一緒に住もうよ。
もう西浦にはいれなくなるけど、ここに場所を移してずっと一緒にいようよ」
「……うん、いいよ」
「でもって、もっかい『好き』って言って」
「えっ…」
「『好き』って言って」
「水谷せんせ」
「そして『せんせ』ってのはずして!」
この際だからとどんどこ我儘を言っている水谷先生にどうしたものかと思いつつ、
何故だろう、笑いが込み上げてきて抱き締めながらもオレは肩を震わせていた。
「何、そこで笑うの?マジで?」
「だって、ねぇ」
「ううう」
「キスしてくれたら、も一度言ってもいいよ、水谷」
笑顔でそう言って、オレは目を閉じた。
顎に水谷先生の指がかかる。
柔らかく触れるものの感触に、湧き上がるのはきっと幸せの予感だ。




閉じた瞼の裏には赤い色が広がっていた。
それは優しい光だった。





















栄口先生(笑)、お誕生日おめでとう!
水谷先生と幸せになってください!


栄口先生が異動になるのも、
水谷先生がその異動先の学校の近くに住んでいるのも、
2人が一緒に暮らすようになるのも、
全部初期からの設定だったので
やっとやっとここまで書けてうれしいです。




BGM : レミオロメン 『蛍』



「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」
(『阿弥陀経』という経典に説かれている言葉です。タイトルはこの辺から)
『青光(しょうこう)』はいつ書けるのかなあ…。
(こんなとこでいつになるかわからない予告をするなと。笑)







2007/6/8 UP





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