月篠あおい Side













好きなもの。
好きになりたい。










『阿部くんの、好きなもの』
(「西浦中学校物語」Afterwards)









誕生日の翌日だった。



オレ、三橋の前には、大きな、とんでもなく大きなホールのいちごケーキと
阿部くんの笑顔があった。
ここは、阿部くんの部屋だ。
フローリングの床に小さなテーブルを置いて、そこにケーキが置かれている。
いつもはここで勉強を見てもらっている。
ケーキも笑顔もどちらも大好きなものなので、
うれしくて表情ががふにゃりと崩れてしまう。
「お誕生日、おめでとう」
うれしくてうれしくて視界に入る風景のすべてが光っているようだ。



この間、誕生日の当日には会わないと阿部くんに言われて
結構落ち込んだりもしていた。
「嫌いになった訳じゃない」と阿部くんは言う。
「まず両親や友達にちゃんと祝われてからな」とそうも言う。
確かに昨日はお父さんやお母さんからも、泉君や沖君や
他の友達からもたくさん祝ってもらったけど。
それで1日があっという間に終わってしまったのだけど。
阿部くんは大人だから、オレみたいにこんなに寂しくはならないのかな。
「誕生日プレゼント…考えたけど、ケーキしか浮かばないって……。
それってどうなんだと自分で思ってしまった。ごめんな、三橋」
「なんで、そうやって、謝るの!」
謝って欲しくない。
気持ちをかけらでも謝ることで否定して欲しくない。
だってこんな大きなケーキ、見たこと無い。
きっと特注なんだろう、な。
阿部くんはどんな顔でこのケーキを注文したんだろう。
「こ、これ全部、食べれるかなあ……」
「お前は一人で食っちまうつもりなのか?」
「阿部くん、と一緒に、食べる!」
笑顔になった阿部くんが好きだ。




ケーキを食べながら、阿部くんが言った。
「なあ、あの桜の木」
「?」
「あの木、オレが好きだから、お前も好きになったのか…?」
「うん」
しばらく沈黙の間があって、阿部くんは再度口を開いた。
「勉強も、じゃあ好きになるか?」
「うおっ!」
そう振ってくるとは思わなかった。
びっくりして髪の毛も逆立ちそうだ。
「まあ冗談だけどな…、もう毎日は勉強見てやれねんだから
ちゃんと頑張んないとダメだぞ」
「う、うん…」
「それと」
言葉を区切って阿部くんはオレを見た。
な、何かしちゃったんだろうか。
あんまり真剣に見つめられたので、心臓がどきどきしている。
「オレの好きなもの、好きになるんだったら、
お前はまずちゃんと自分を好きになんなくっちゃな」
「じ、ぶん?」
「そうだろうが。オレが一番に好きなのはお前なんだから」
言われて、体の中にある液体がどこもかしこも沸騰してしまいそうだ。
頬が熱くなって、両手で押さえる。
オレも阿部くんが、好きで、好き、だから……。
「阿部くん……、オレ……」
「ん?どうした?」
「阿部くんにキスしたい、よ!」



阿部くんは、呆けたような顔をしていたが、
すぐにまた笑顔になって「いいよ」と言って、目を閉じた。
オレは膝立ちのまま、歩いて近づいて。
阿部くんの唇に自分のそれをそっと重ねる。
ケーキのせいかな、とても甘い味がする。
それとも幸せってやっぱりこんな甘いのかな?















ずっと、世界が怖かった。
世界の中でひとりきりだと思い込んでいた。
自分を好きになんか、とてもじゃないけどなれないでいた。











でもひとりじゃないんだって、
幸せは気づいていないだけで、たくさん自分の傍にあったんだって
西浦中学校にいて、阿部くんと出会ってやっと分かった。



もうあの頃の何もかもが思い出になっていくけれども
幸せな時間をたくさんありがとうと、言いたかった。




















『ありがとうは光に溶ける』のおまけ話です。


「西浦中学校物語」その後のお話です。
番外編扱いとなります。






2007/5/20 UP








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