月篠あおい Side













愛しい。
どうして、こんなにも。










『ありがとうは光に溶ける』
(「西浦中学校物語」Afterwards)
(2007年5月17日三橋お誕生日記念SS)








抱き締めた腕の中の三橋は震えていた。
卒業式後の喧騒の中、校門前での卒業生の見送りの時間は近づいている。
その僅かな隙間の時間に阿部は三橋を生徒指導室に引っ張り込んだ。
「卒業おめでとう」と言いたかった。
「好きだ」と言いたかった。
言いたいことも言わなければならないこともどちらもあった。
まずは言いたいことをちゃんと言葉に出す。
この日を阿部はもうずっと待っていた。



「……すき……?」
「ああ、好きだよ。卒業式を終えるまで言わないって決めてた。
言えなくて、ごめんな」
「ほん、とに?」
「ああ」
「オレ、と、……卒業しても、会ってくれる?」
泣き過ぎたのか、掠れた小さな声で三橋はそう言った。
なんて可愛いんだと思う。
「4月になったらな」
それは言わなければならないことだった。
三橋は涙でぐしゃぐしゃになっている顔を上げる。
「3月いっぱいはまだお前は西浦の生徒だからな、学校の外では会わない。
でもそれまでも泉たちとここに遊びに来るのはアリだろうし、
ケーバンやメルアド教えてっから電話やメール、してきてもいいぞ」
「阿部、くん」
摺りついてくる三橋の頭を優しく撫でる。
「卒業で、終わりになんかしねぇから」




終わりになんかするつもりはなかった…自分からは。
ただ三橋のほうから終わりにすることは、それはあって然るべきだと思っていた。
新しい環境になって、その楽しさで阿部のことを忘れてしまったとしても
それはそれで仕方の無いことだろう。
覚悟は出来ていた。そのくらいは大人だった。
だから敢えて阿部からは三橋に一切連絡を取らなかった。
3月中も、4月になっても。
今思い返せば、阿部は怖かったのかもしれない。
これからの人生はまだ長く、未来に向かってただ突き進む三橋にとって、
静かにフェードアウトしていく思い出のひとつになってしまうことに。
それを自覚するくらいなら、いっそこのまま会わなくても…
このまま心に抱える恋情を封じ込めてでも
その方が三橋にとってはいいのではないかと思ってしまっていた。




三橋は学校に顔を出さず、
阿部の携帯にも電話はおろか、一通のメールさえも来なかった。
やはり新しい高校のほうに気持ちが傾いているのだろう。
行きたかった高校、仲が良い泉や沖とも同じ高校に行くことが出来て
三橋はどれだけうれしかったことだろう。
付きっきりで勉強を教えた甲斐があったというものだ。
まだまだ準備や入学前の課題などに追われているかもしれない。
きっと皆で集まってなんとか課題をこなしているのだろう。
ほんとは数学はもっとちゃんと見てやりたかった。
課題だって手伝ってやりたかった。
阿部は沈みきった気持ちのまま3月の残りを過ごして、
幸いなことに異動もないまま穏やかに4月を迎えた。
三橋がいないこの西浦中学校で、また新しい年度が始まっていた。
桜はもう、咲いていた。





三橋から最初のメールが来たのは、その頃だった。
『学校の桜はちゃんと咲いていますか?』
三橋からのコンタクトがうれしくてうれしくて
会いたいという気持ちが駆け巡って、外で会う約束をした。
咲いている学校の桜を見せて、
加えて阿部が桜の季節、一番心に残る場所があり、
そこに三橋を連れて行きたかった。
一緒に見たかった。大好きなあの桜木。
今まで誰も連れて行ったことは無かった。
あの桜を見せたいと思ったのは、三橋が初めてだった。
たぶん一生忘れることはないだろう。
あの春の夜の静けさと、揺れる桜の優しい色と仄かな光の朧月。
「せんせい」と三橋は、阿部のことを呼んだ。
「阿部せんせい、大好き」と言ってくれた。
今更何が先生だ、どんだけ「阿部くん」と呼んできたんだと言いたかったが
三橋に対する愛しさがこみ上げて来て、泣けてきてしまった。
出会えてよかったと思う。
自分を、人生を変えてくれて、ありがとうとただそれだけを思う。




……三橋にとってもそうだろうか。
彼の人生を自分に係ることでこんな風に変えてしまって
本当にそれでよかったんだろうか。















太陽の光を眩しく感じる5月。
季節は初夏になっていた。




三橋が高校に入学してからも、週に一度は阿部の家で
勉強を見てやることになっていた。
大体において日曜の昼間の時間が多いのだが。
あの朧月の夜にそう約束して、切れたと思っていた三橋との糸が
また再びきちんと繋がって、それはうれしいことだった。
阿部はもう実家を出ていて一人暮らしだったので、
人目をあまり気にすることがないのは楽だった。
夕刻がせまる帰り際、阿部の頬に三橋はいつも小さなキスを落としてくれる。
まるで何かの儀式のように、それは何度も続いている。
「三橋」
「う、え?」
あまりもう身長も変わらないのに、三橋はぎゅうとしがみついてきて
離れがたいのかそのまましばらくの時間を過ごしている。
「お前、もうすぐ誕生日だよな」
「な、なんで阿部くん、オレの誕生日……知ってるの?」
「あのな……。ほら、家庭調査書」
「?」
「年度初めに提出の家庭調査書には書いてあっただろ?
オレはお前の担任だったんだぞ」
「うひ」
「なんか欲しいもんとか行きたいところとかあんのか?」
せっかくの誕生日なのだから、喜ぶ顔が見たくて阿部はそう問うてみた。
三橋は黙り込んだ。
何かあるんだな、と思った。
「遠慮すんな」
「……」
「三橋」
「……行きたい、トコ、……ある」
「何処だ?連れてってやるから」
「桜」
「あ?」
「あの桜の、木に会いたい」
「お前が好きなあの学校のか?」
三橋は首をすごい勢いで振る。
「ちっ、ちが、う。阿部くんが、好き、な、あの大きな木」
「……今、花なんてとっくに散っちまって、もう咲いてないぞ?」
「行き…たい!」
真っ直ぐに阿部を見ての三橋の滅多にない強い口調に
阿部は暫し呆然としていたが、笑顔になって三橋の背に手をまわす。
「じゃ、今から行こう」
「……っ」
「お前が喜ぶ顔、少しでも早く見たい。
プレゼントにもなりゃしねぇけど、こんなことは前倒しでもいいんだ。行くぞ」






新緑が綺麗な、緑の並木道になっていた。
桜が満開の春の日に、三橋と2人で
この公共施設の敷地内にあるアーチ状になっている桜木たちの下を歩いた。
夜の闇に浮かんでいた桜の花の淡い色はなかったが、
初夏の淡い光を隙間から覗かせながら、葉は重なり揺れていた。
西の涯の辺りの空はもう朱の色に染まりかけていた。
三橋はあの夜のように飛び跳ねながら、先を進んでいく。
相変わらず人通りはなかったが、何か催し物があっているらしく
駐車場には車がたくさんあり、大きな建物の中には人の気配が在る。
敷地の奥にひとつある大きな桜木は、緑の衣を纏っていた。
「うわあ」
見上げて三橋は感嘆の声を上げる。阿部は背後から声をかけた。
「……そんなに気に入ったのか?」
「阿部くん、が、好きな、木」
「お前は……」
湧き上がってくる愛しさに、だんだんと抑えが効かなくなっていくような気がする。
「秋になる、と、この葉っぱ、赤くなる、のかな」
「カエデのようには真っ赤にはならないが、ちゃんと赤くなるぞ」
「また秋に、なったら、ここに来たい。赤い葉、見たい」
「……」
「冬になって、葉っぱが、みんな散ったら、また来たい」
「……三橋?」
「阿部くんと、ずっとここに、来たいんだ、オレ」
振り返ってにっこりと笑って三橋は言った。
「阿部くんが、好き、だから。ずっと一緒に、いたい、よ」
愛しい。
どうして、こんなにも愛しいんだろう。
阿部は三橋を見つめたまま、立ち尽くしていた。
ふるりと首を振って、三橋の手首を握ると引っ張って、そのまま駆け出した。




「来い」
「阿部、くんっ?」
建物の裏口から2人は入ると、階段脇の通路を抜け、倉庫部屋の前まで来た。
その隅の死角になってる部分に入り込んだ。
「ここ、何処?」
三橋の問いに阿部は答えず、抱き寄せて口付けた。
「ふ…うあ…」
息が苦しいのか、酸素を求めて逃れるように動く三橋のその唇を
追いかけて再び阿部は塞いだ。
柔らかくて甘い感触はすべての思考を遠くに飛ばしてしまうほどだった。
三橋の細い身体が悲鳴を上げそうにあるくらいに強く、強く抱き締めて
色素の薄い柔らかい髪も、揺れ動く瞳も細い腕も何もかも抱き込んで
そこでようやく息をついて阿部は口を開いた。
「三橋……オレは……」
「……」
「おまえの人生を変えてしまったのかもしれねぇ。…ごめんな」
阿部と出会ってしまったことで、三橋の人生の大事な部分を変えてしまった。
そう阿部は思っていた。
幸せにする自信が無いわけではなかった。それでも…。
「なんで、そゆこと、言うの!!」
あちこちに反射して響く三橋の大きな声に阿部は驚き、慌てて体を離した。
掴まれた腕が熱く、意識をその部分にもっていかれる。
三橋は顔を歪めて泣いていた。
涙を拭おうともせずに泣いて泣いて、そして阿部を見つめたまま首を振った。
泣きながら、それでも笑おうとしていた。





「あ、ありがとう、阿部くん」
「…三橋」
「人生を…変えてくれて、ありがとう。きっと阿部、くんと、出会わなかったら。
オレ、ダメなままだった。オレ、阿部くん、を好きになって、幸せだ、よ?」
三橋の言葉に、じわ、とこみ上げるものがある。目の縁が熱を持っていく。
何を不安になっているのだろうと思う。
人生の先には光があるのだと自分が信じていなくて、どうするのかとも思う。
お互いに想いあっていて、それだけでも幸せなんじゃないのかと。






心の奥の深く暗いところに、光が差し込んで届いて。
視界を闇を含んで覆っていた膜が、ゆっくり剥がされていくのを阿部は感じていた。



光に溶けて、ありがとうの言葉が届いたのかもしれなかった。



















三橋、お誕生日おめでとう!

「西浦中学校物語」その後のお話です。
番外編扱いとなります。






2007/5/17 UP








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