月篠あおい Side














記憶にある姿はずっと窓の遠く
空を見上げていたように思う。
そして、自分はその姿をずっと見続けていた。




ずっと見続けて、いたかった。










『場』
(『や(約束)』の続き)









卒業式の日は
突き抜けるような青空だった。












クラスの女子が先程から何人も泣いている。
たくさんの思い出がこの西浦中学校にあったのだろう。
「花井ー、またな!」
「おう」
明るく言葉を投げて去っていく、クラスメイトを花井は笑顔で見送る。
卒業式も終わり、最後のホームルームも終わって
校門前でのたくさんの先生方や生徒会役員の見送りの中、
それぞれが明日に向かってこの西浦中学校を後にする。
親には「先帰ってていーから」と荷物を持たせて、
花井は手ぶらのまま生徒会室へ向かった。





「花井」
掛けられた声に振り向くと、そこには阿部が立っていた。
卒業式で泣くかどうかで、本人が知らぬ水面下で
盛大に賭けの対象になっていた阿部先生。
結局のところはどうだったのだろうか。
目が赤い……気もしないではないが。
「阿部先生。……いろいろお世話になりました」
「ああ、卒業おめでとう。ところで田島先生知らねぇか?
見送り始まってんのに姿見えなくて。あいつはまた何処ほっつき歩いてんだか」
「見かけたら『校門前にさっさと来い』と伝言すればいいですか?」
「頼む。オレは3年の担任だから行かなくちゃなんないんでな。よろしくな」
それだけ言って去っていく阿部を、笑顔で見送る。
しばらくは田島は校門前に見送りに来ることはないだろう。
それだけは分かっていた。




ひとつだけ、約束をした。
想い焦がれている田島と約束をしていた。








生徒会役員は校門前での見送りのため、全員出払っているはずだ。
いつもの場所でいつものように、彼は空を見ているのだろうと思う。
緊張しつつも花井は生徒会室のドアを開ける。
「……田島先生」
中に入り、ドアを閉めてカギをかけた。
学校の中でそこだけが切り離された空間となるような気がする。
「よお、梓」
田島はいつもの窓際にいて、こちらに向かって手を振っている。
卒業式だからだろうか、めずらしくスーツ姿だった。
ただいつもの丸椅子には座っていなかった。
床に腰を下ろして足を投げ出したまま、青い空を見ていた。
近づいて、見下ろすのもどうかと思って、花井もしゃがんで顔を覗きこむ。
「どうしたんです?イスは?」
へへっと、田島は笑う。
ああ、好きだなと思う。ずっと変わらない。その笑顔が好きだった。
「イス…なあ、全然生徒会室に来てなかったら、
いつの間にかどっかいっちゃってるみたいだな」
「はあ?」
「あのイスがお気に入りだったのになあ……」
「ちょ、ちょっと待った!あんた、何だそれ」
「ん?」
「生徒会室に来てなかったって、何なんだよ、それは!
あんたまだ生徒会顧問のはずだろーが!」
声を荒げた花井に向かって、
田島は吹き出すとしばらく腹を抱えて笑っていた。
わけが分からない。
「……田島先生」
あまりの笑われように眉根を寄せた次の瞬間、
花井は坊主頭を突然撫でられて、床に両手をつきそのまま固まってしまった。
笑顔のままで田島は言った。
「ほんと何にも気付いてなかったんだなあ。
お前がいたから、オレも生徒会室にいたんだよ。分かってっか?
そりゃ一応顧問だからお前がいなくなった後もたまに顔くらいは出してたけどな。
でも空なんか見てない。久しぶりなんだよ、この窓の向こうの青い空。
……お前とオレと、ここは2人だけの場だったんだ」





場。





思い返せば花井にとってもここは、田島がいてこその大事な居場所だった。
たくさんの思い出が詰まっている大事な場だった。
田島は窓際のお気に入りの場所に丸椅子を動かして
その傍の窓から広がる空をいつも見ていた。
花井が生徒会長に就任した昨年の冬から、退任する冬の季節まで。
だからその先も、生徒会顧問である田島はずっとこの生徒会室に
居続けるのだと思っていた。





2人だけの、場。





「お前とここにずっと…いたかったな……」
青い青い空を見上げながら田島が零した言葉に。
ずっと抑えていた気持ちが溢れ出してくる。
たまらなくなった。
自分の体の震えるのを感じながら、
花井は田島の背に腕をまわし、ゆっくりと抱き寄せた。
田島はそれきり黙ってしまった。
視線の先はまだ窓の外にあるようだった。
「…好きだ」
声を絞り出すようにして花井は告げた。
田島に対しての、自分を焼き尽くしてしまいそうなほどの
熱い想いを花井はずっと抱えていた。
好きだと言いたかった。
ただ自分の想いを伝えたかった。
「梓」
花井の両肩に手を置いて田島は離れようとする。
拒絶されたのかと思って、花井は辛くなった。
抱き締めたままの体をずらして、田島の体を床にゆっくりと倒していった。
床に転がった状態の田島は、花井から視線を逸らさずにいる。
花井はその田島に覆いかぶさるようにして
これ以上ないほど顔を近づけたところで動きを止めている。
お互いの視線は絡まりあって、時間さえも止まっているようだ。
「好きだ」
もう一度繰り返した。
「好きだ」
もう一度。
どこもかしこも熱いものが駆け巡って、
繰り返すばかりで、これ以上どうしたらいいか分からなかった。




田島は驚いたのか、目を大きく見開いていた。
沈黙が2人の周囲を静かに満たしていったが、
やがて田島は笑顔になり「ありがとう」と言った。
そして花井の坊主頭を何度も何度も撫でている。
何だか照れくさくなってしまって、思わず視線をはずしてしまった。




ちゃんと告白出来てよかったと思う。
最後の最後で、自分の気持ちをちゃんと田島に伝えることが出来て。
これで想いを残すことなく卒業できるだろう。
新しい環境で生きていくことができるのだろう。
この場でのいろんな記憶を、すべて思い出にして。




今日で終わりだという現実の苦さをじわりと感じ始めたところで、
こめかみのところに柔らかいものが当たるのに気づいた。
田島の唇がそこに触れていて、更に頬に熱が篭った。
「梓」
「……な、なんすか」
「なあ…お前早く大人になれよな。それまでオレ待ってっから。
お前の気持ち、抱えたままで待ってっから」
「……え?」
「ああ、でも高校行っちゃって可愛い彼女作っちゃうかな?
オレはこの先おじさんになってっちゃうばっかだかんな」
自嘲気味のらしくない笑みなのに、そのらしくなさに、
愛しさだけが溢れてくる。
田島を見つめて見つめて、そっと口付けた。
「可愛いのはあんただ。なんでそんな可愛いんだ」
「自分の気持ち、まだよく分かんねえけど」
「……そうだろう、な」
「でもオレは、お前のことは何でも受け入れてしまうんだと思う」
「あのな、受け入れりゃいいってもんじゃねえだろが」
「でもお前だけだ」
「田島…」
「そんなの。お前だけなんだよ」
田島は両の手を伸ばして花井の頬を包む。
「オレは男で、大人になっちゃってて、おまけに先生で
……それでも本当にいいのか?」
「それを訊くのはこっちだ。オレは男でまだガキで、そして生徒で。
あんたはそれでもいいのかよ」
「大人になるまで待つっつったぞ」
「オレは待てねぇ」
言って、再び田島の唇を塞ぐ。
花井は自分の熱が田島に伝わればいいと思っていた。
絡まりあう視線も吐息も、駆け巡る熱も何もかもが時間を忘れさせる。
このままずっとここで、2人でと思ってしまう。
けれど、いつまでもこの場所には居られない。
もうここは自分達が居ていい場所ではない。



「今のオレじゃ、ダメなのか…?」
そう花井が問うたら、田島は狼狽した。
「違うだろ、そんなことは言ってないだろ、オレは…っ!
大体オレの傍から離れていっちゃうのは梓のほうじゃねぇか。
高校に入って、…新しい環境でオレのことなんか忘れちまうんだろう?」
「忘れねーよ。つーかあんたこれきり会わないつもりかよ!」
「会いたいつったら会ってくれんのかよ」
「当たり前だろ?あんた一人ここに置いていかねぇよ!」
時間を切り落としたように唐突に沈黙がまた訪れる。
お互い見つめあったまま、花井は指先を田島の持つそばかすに滑らせる。
指は頬を通りそのまま田島の項を掠めて背中にまわす。
「……梓」
自分の名前を紡ぐ田島は独り占めしてしまいたいと思うほどの満面の笑顔だった。
太陽のような笑顔を持つ、田島が本当に好きでたまらない。
花井は背中にまわした腕に掌に指に力を込めていく。




場は無くなってしまったけれど、
築いてきた関係までが無くなるわけじゃない。
思い出に何もかも飲み込まれてしまっても
それでも明日への時間の中に残るものはきっとあるのだ。







「そういやまだ言ってなかったっけ……」
花井の腕の中に納まって目を細めて笑いつつ、田島が言った。









「卒業、おめでとう」

































花井!お誕生日おめでとう!!


そしてこのまんま卒業後の『太陽との約束』に
続いていくのではないかと思います。






2007/4/28 UP











場はもうとうに何処にも無く
2度とあの懐かしい時間に戻ることはないのだ。

あの場を失くさなければ
きっと今の自分はなかった。

それでも。
ああ、それでも。

思い出にしてしまうには
あまりにも光り輝いていて。

いつまでも私の気持ちを捉えて
離そうとはしないのだ。






5年目の、夏が来る。




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