月篠あおい Side













きっと花が咲くと思い出す。









『花咲く夜の朧月』
(「西浦中学校物語」Afterwards)









学校という場所には大体において桜の木がある。



三橋が西浦中学校を卒業して最初に気になったことは
学校の桜が今年もちゃんと咲いているかどうかということだった。
お気に入りの桜木があって、花が咲くのを楽しみにしていたからだ。
卒業して4月になってしまってからはなかなか学校にも行き難くなって
……だから尋ねてみた。
勇気を出して思い切って尋ねてみた。
『学校の桜はちゃんと咲いていますか?』
それは卒業後、阿部に初めて送った携帯のメールだった。









春の夜、風は少し強くて思ったより寒かった。
阿部との待ち合わせは学校の裏門の前で、あんまり早く来過ぎて
少々震えながら阿部が来るのを待った。
まだ時期的には冬時間で部活も早めに終わるので校内に人気はない。



『学校の桜はちゃんと咲いていますか?』
この間そうメールを送るとすぐに電話がかかってきて、
桜が満開の時期に一度外で会おうということになった。
学校外で阿部と会うのはもちろん初めてのことで、
それだけでも三橋は緊張してしまう。



1台の車が裏門の前に止まり、ドアが開いた。
「三橋!」
車から降りたのは阿部で、こちらに駆け寄ってくる。
「阿部、くん」
「お前そんな薄着で!体冷えてんじゃねぇか!」
会うなりの阿部の怒る声に体を震わせる。
「ご、ごめっ…」
謝りつつ顔を上げたら、急に頭から何かを被せられて
視界が夜のそれより更に暗くなった。
「それ着てろ」
「…うん」
「クソ、もっと早く来れば良かった。そしたら待たせなかったのに」
阿部は苦い顔をしているが、大体まだ待ち合わせの時間よりは早いのだ。
被せられたのを見ると春用の薄いコートだった。三橋はもたもたしつつも手を通す。
体は徐々に温もっていく。阿部の匂いが微かにしていた。
阿部は追加では怒らず黙って待っていた。スーツ姿なのに気付いて驚く。
「阿部くん、どこ、か、…お出かけなの?」
そう言ったら、阿部は額に手を当て、大きい溜息を
闇が染みている空を見上げながらついていた。
「上手く服、選べなかったってのもあっけど…一応初デートなんだからさ。
ちょっとはかっこつけさせろ」
「うぉ!」
初デートという言葉に、三橋の緊張は更に高まっていった。
それに気付いたのか、阿部は笑顔で三橋の頭を軽く叩いた。
「いつものお前でいいんだよ」



「その前に……。どこの桜の花が咲いたかって?」
こくこくと三橋は頷く。
「あ、あの、生徒指導室の窓から見えてたの」
「ああ、あそこか!なら、裏手にまわれば外からも見える。行くぞ!」
三橋の手を引いて、阿部は駆け出した。
繋がれた手は温かく、三橋はうれしくてうれしくて胸が痛い。
卒業したら会えなくなると悲しんだ日々があった。
どれだけ好きだといっても応えてはもらえなくて、
諦めようと思ったことも何度となくあった。
卒業式の後も阿部は笑顔で、それが悲しくて泣き伏したくらいだったのだ。
その後、告白されて。
今、こうして2人でいれることが本当にうれしかった。



それは校舎裏にひっそりとある小振りの桜木だった。
見上げる。
外の街灯で微かに照らされてフェンス越し、闇の薄まった中で淡い桜色が揺れている。
揺れて揺れて、綺麗で、揺れて。
やはり涙が出た。止まらなかった。
三橋は繋いでない方の手で涙を拭うが止まらなかった。
「な、なんで泣いてるんだ……?」
「よかった、ね、阿部くん。咲いてるよ、桜」
「あ?」
「この木を、生徒指導室から、阿部くん見てた。
花が咲くのが、楽しみだって、言ってた。だから、気になってたんだ」
「……お前」
「?」
「オレの言った、そんな小さなこと覚えてんのか」
「忘れたく、ない。全部覚えていたい、よ。ほんとは。
それでも数学の、公式みたいに零れて、落ちる時、いっぱいあるけど」
阿部を窺うと、喜んでいるのか悲しんでいるのか分からない
複雑な表情をして、三橋を見つめていた。
上目遣いで恐る恐る訊いてみる。違う気持ちで泣けてくる。
「お、怒って、る?」
「怒ってなんかねーから!」
手に力を込められた。痛いほどだった。
「……メシ食いに行こうな、三橋」
阿部は再び来た道を戻り始めた。
結局はまだ泣き止まない三橋の手を引いて。



現金なもので、ご馳走を目の前にすると泣いてたカラスは何処へやら
三橋はふわふわとうれしい気持ちに包まれていた。
小さな個室のある中華レストランだった。なんだかすごくお洒落な感じの。
コースでちょっとずつ料理が出てくるのだ。
ちゃんと阿部と勉強以外の話が出来るのかと三橋は不安だったが
お互いの野球好きが発覚し、センバツの話で盛り上がることとなった。
楽しかった。時間が過ぎていくのがあっという間だった。











次に阿部の車を降りた時にはもう夜も更けていて
視界に映る情景は静かな佇まいの中に在った。
大きい建物の敷地内に入ろうとしている。
古い日本のお城のような造りの門は開いていて、
中は建物からのオレンジの淡い街灯の光に包まれている。
車は近くの路上に止めて、三橋と阿部はその門を潜った。



見上げると視界が全部桜の花と枝で覆われてしまう。
その隙間から夜空が覗いていて、遠い遠いところに月の光を見つけた。
月は朧だったが、辛うじてその姿が満月なのが分かる。
「すご…い。きれい。」
足元、石畳の双方から連なる桜木は伸びていて、
アーチ状の桜並木になって上方を覆っている。
闇に溶け込みつつある桜の色だけが、光をひっそりと取り込んでいる。
見渡しても誰もいないようだった。静かな空間がただそこにあった。
お互いの顔も近づかないと見えないくらい、夜の闇の中に微かな灯りはあって。
阿部のコートは着せられたままだったが、三橋は飛び跳ねながら
石畳を奥へと進んでいく。
「阿部くん、桜、きれいだ!」
振り返ってそう言うと、阿部が三橋の傍へ近づいてきた。
その顔はうれしそうに笑っていた。



「おいで」
三橋に向かって阿部が手を差し伸べてきたので、反射的に三橋は重ねて手を置いた。
手を繋いで、歩く。
桜のアーチを抜けて、建物の裏側に回る。
大きな桜の木があった。
2メートルくらいの高さの街灯を覆うような形で、その木は、
揺れる花たちはそこに在った。
「ね、阿部くん…」
「ん?」
「真ん中の、トコ。葉が出てる」
「ああ、街灯が一晩中ついてるからな。暖かいからそこだけもう葉桜になってんだよ。
ただその分、咲き始めも早いんだ」
三橋は阿部が話すのを黙って聞いていた。
大好きな横顔を見上げつつ。
「オレん家、この近くなんだ。小さいころ遊びにいった帰りとか部活の後とか
毎年ここに一人花見に来てた。お気に入りの木なんだよ。
この敷地内は座る場所もぜんぜんないし、だからかな、結構人が少ないんだ」
お気に入りの場所に自分を連れてきてくれたんだ、と三橋はうれしくなった。
「……ごめんな、三橋」
突然に阿部がそう言って、その意味がよく分からなくて首を傾げた。
ちょっとだけ悪い予想なんかをしてしまって身を竦ませる。
そんな様子に気が付いたのだろうか、手を急に離した後、阿部の腕は伸びてきて
そのまま包み込むように抱き締められた。



「桜のもっと綺麗な場所なんていくらでもある。花見の名所とかもある。
本当はそんなトコに連れて行ってあげたかった。
だがな、……あんまり人目につくのはまずいだろう?」
そうなのだ。
西浦中学校を卒業したとはいえ、傍から見える自分達2人の関係はいつまでも先生と生徒だ。
阿部の言いたいことはよく分かる。
ただ、どうか教師でないほうが良かったとか、そういうことは思わないでほしかった。
阿部が教師だったからこそ、三橋はいろんな意味で救われたのだし、
こんなにも好きになることができたのかもしれないのだ。
そして、三橋にとっては阿部と一緒にいることができる、それだけで十分だったのだ。
「オレ…オレ、ここがいい、よ」
「……」
「阿部くんが好きな場所の、ここがいいよ」
「……お前は…っ」
阿部の腕に力が込められて、ちょっとだけ息が苦しい。
でもその苦しさすら今は心地良かった。
三橋は目を閉じて、阿部の背中に両手をそっと回す。そして言った。
「せんせい」
もう過ぎてしまった大切な日々を思い出しながら、言った。
「阿部せんせい、大好き」



阿部と過ごした中学校時代の日々を思い出す。
楽しかった記憶も悲しい記憶も、過ぎていく時間が少しずつ優しい色に変えていく。
きっと今こうして2人でいる時間も、綺麗な色で心の何処かに仕舞われるのだ。
毎年花が咲くと今日のことも思い出すだろう。
何年経とうとも、きっときっと思い出すだろう。



先ほどから阿部は黙ったままだったが、顔を覗くと泣いているように見える。
「阿部くん、泣いて、るの……?」
「……ばかやろうお前のせいだぞ。何が今更『せんせい』だ」
「うひ」
そういえばずっと『阿部くん』と呼んで来たのだ。
思い出はひどく優しくて、三橋も涙が止まらなくなる。
空に視線を移すと朧の月も泣いているように見えた。
「泣いても、いいよね。無理して我慢、しなくて、いいよね。
今日はお空の月も、泣いているようだからきっと、泣いてもいいんだよ」
三橋は阿部の背中を優しく擦る。こんな風に流す涙は気持ちを温める。
「三橋」
「はい?」
「お前と、出逢えてよかった……。ありがとう」
三橋の耳に、阿部の少し掠れた声が届いた。











毎年花が咲くと今日のことも思い出すだろう。
春の夜の静けさと、揺れる桜の優しい色と仄かな光の朧月。





何年経とうとも、きっときっと思い出すだろう。
2人一緒にいた、これからも続いていくのだろう
この幸せな日々のことを。















カプアンケートご協力御礼作品。
ありがとうございました。

「西浦中学校物語」その後のお話です。
番外編扱いとなります。





2007/4/11 UP








花が咲くと思い出す情景がある。
それは記憶の奥底で
淡く光っていて綺麗だった。


5年目の、春に。






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