柔らかい、感触がある。 アメフトボールより軽いんじゃないだろうかとヒル魔は最初思った。 腕の中に在る、世界に生まれたばかりの者はまだまだ小さくて。 けれどその存在は、その命は、真摯に向き合う程の重さを持っていた。 自分の人生、これから先のすべてで、 子を抱えて生きていかなくてはならない。 そんな覚悟を暗に求められている。 途中では放り出せない、守るべき存在なのだろう。 自分にもこうやって生まれ落ちた時に、抱いた手が確かにあったのだと、……この時、初めて実感できたのだ。 「どうしたの?」 まもりの問う声が鼓膜を通り抜ける。 目の前にいる笑顔の彼女は、既に母親の顔をしていた。 愛しさは日々増すばかりで。 何故だろうか。 あまりにも世界は優しくて、ヒル魔は戸惑っている。 それから、穏やかに時は過ぎて……。 冬の季節の澄み切った空には、十六夜の月が天の頂にあって、星もたくさん見えていて、都会の夜景の輝きに負けていないくらい明るい夜だった。 「いつまで起きてるの?まゆちゃんも妖ちゃんも、もう寝なさい!」 キッチンから飛んできた声は糞奥さんことまもりのもので、けれど声を掛けられた当人たちは何の反応も返さない。 リビングでは大きな音をたてて、目の前のチェス盤が叩かれる。 「リベンジ!もう一回!!」 チェスのキングを掴んだまま、こちらに手を伸ばしているのは、長女のまゆりで現在小学3年生になる。 風紀委員だった頃のまもりを小さくしたような容貌だが、瞳の色は青くはない。 生まれた時には腕の中に納まるほど小さかった赤ん坊は、「まゆり」という名をもらってすくすくと大きくなっていった。 だが、そんなに上手く簡単に子育てが進行していくわけはなかった。 何しろ良くも悪くも自分の子供なのだ。 ヒル魔に勝負事で勝とうと思っているところが大変に勇ましい。 それどころか、将来アメフトでQBになり、いつか親父を超えると宣言した娘である。 「テメーはいい加減寝やがれ、もう頭働いてねーだろが」 ヒル魔は夕食後ノートパソコンを扱いつつ、片手間にまゆりのチェスの相手をしていたのだが、さすがに夜も更けている。 週末で学校は明日も休みだとはいえ、これ以上まもりを怒らせるわけにはいかない。 「付き合い悪いわね、勝ち逃げする気なの?聞いてんの?そこの糞親父!」 「ちょ、ちょっとまゆちゃん、ファ…って!またその言い方っ」 リビングに顔を出したまもりは慌てている。 「お母さん、お父さんとお姉ちゃんの毎日のコミュニケーションに突っ込み入れてたら、 キリがないよ。お互い楽しんでるんだから、放っとけば」 ソファの上で膝を抱え、四書五経の孟子(日本語版だが)を読みつつ、悟りを開いたような表情の達観している幼稚園児は名を「妖太」という。 ヒル魔の小さい頃に似ていると言った身内がいたが当てにはならない。 こちらは母親と同じ主務になるとその年で決めていて、自分がフィールドに立つという選択肢は持っていないらしい。 「よーた!ゴシャゴシャうるさい!!」 まゆりの気に障ったのか、キングの駒は妖太に向かって投げられている。 さらりとかわされて、更にまゆりの機嫌は悪くなっていった。 「俺は糞娘の言うことなんざ、端から聞く耳持たねぇぞ。ガキ共はさっさと寝ろ」 「今度は勝つ!」 「ケケケ、そりゃ無理だな。勝ちたいんならそこの糞チビに相手してもらったらどうだ? 幼稚園児にゃ勝てるだろ?」 金属音がして視線を移すと、 目の前でまゆりがリボルバー型グレネードランチャーを抱えている。 ヒル魔に向けられてはいるが、照準どころか距離が近すぎて使い物にはならないだろう。 普通の銃のほうがまだ脅威だ。 自分の武器なので特に動じることもなく、ヒル魔は銃口にみかんを放り込んだ。 驚いてまゆりはバランスを崩し、ランチャーごとヒル魔の胸に飛び込んでくる。 小学生にしては身体が大きいほうだとは思うが、それにしても抱えているものに無茶がある。 「まゆちゃん!!」 声を上げつつもまもりはしっかり消火器を抱えていて、武蔵が言うところの達人振りは昔と何にも変わっていない。 それよりも気になるのは押し黙ってしまったまゆりの態度で。 ヒル魔はランチャーを取り上げまもりに放り投げると、まゆりを抱き寄せた。 「……」 「テメーはそんなに弱いのか?」 小学生にしてはまゆりのチェスはなかなかに上手い方で、なのに妖太にも勝てないのか?とは言外の質問だった。 「……親父は、一度よーたとやってみればいいよ」 ヒル魔は妖太の方を振り返る。 本から顔を上げた妖太と目が合った。 妖太は小さくではあるが「ケケケ」と笑う。 これは一度ちゃんと手合わせしないとな、とヒル魔は一人愚痴た。 どちらの子もヒル魔とそっくりだとまもりは言う。 末恐ろしいとも思うが、そのどちらも、もちろんまもりも愛しい存在だった。 「まゆり」 まゆりの頭を撫でながらヒル魔は言った。 「テメーはきっといいQBになれる」 「目の前の糞親父を超せるかな」 「さあ、それはどうかな。つかテメーの夢はそれでいいのか?」 「……何が夢なのか、まだよく分かんない」 「俺がアメフトに出会ったのがテメーよりちょっとばかり大きいくらいの時だ。 テメーの夢は、もしかすっとアメフトではないかもしんねぇな。 これからきっと出会うだろう、出会ったら最後だぞ」 「うん」 「逃げられねえんだ、覚悟しとけ。 仲間と一緒に見る夢は、そこに向かう約束でもあるからな。 だが面白くて面白くてたまらねぇんだ。 テメーにもそんな夢が見つかりゃいいな。 ……今日はもう寝ろ、チェスは明日また付き合ってやる」 「……うん」 項垂れた姿を見て、ヒル魔はまゆりの頭を更に撫でた。 すべての夢が叶うわけではない、そのことは分かっている。 ただ自分とあの仲間たちとで叶える事ができた夢が確かにあったのだ。 一生忘れることのできない記憶として残り、ヒル魔にとってそれからの人生の大きな礎となっている。 あれから、何年が経つのだろう。 家庭というものがこんなにも自分を満ち足りた気持ちにしてくれるものだとは、他者をここまで近くに寄せて、幸せな日々を過ごすことができるのだとは、ヒル魔は思ってもみなかった。 何故だろうか。 人生というものは、悪魔にとっても優しいものなのかもしれない、とヒル魔は思った。 思わせてくれたのが、今ここにいる家族だったのだ。 |
「Kids☆Paradise〜きっぱら〜」企画参加作品です。
ファミリーヒルまもをテーマに書きました。
今回再録です。
レイアウトごといただいてしまいました。
ありがとうございました!
家族構成、タイトル&END画像とレイアウトデザイン:そらほしぐり子さま
2011/2/06 UP