「crimson」



風は冬の予感を溶け込ませて強く吹いていた。



あまりにも紅の色が世界に浸透しているので、
世界に終わりがやってきたのではないかと唐突に彼女は思う。



声に彼女は振り返った。
呼ばれたようだ、それだけしか分からない。
地獄から悪魔が迎えに来たのかと一瞬だけだが勘違いをした。
「ここはランドセルの奴が入る場所じゃねえだろう」
彼女はその声に身を竦めたが、見ると相手もランドセルを背負っている。
自分と同じ年頃の少年だった。
つんと立った髪。
闇に紛れるように彼は居て、柵を越え、こちらに寄ってくる。


彼女は、花畑の中にいた。








冬に向かおうとする季節の、陽の落ちる時間は早い。
今にも西方の涯に落ちていきそうな太陽が、空を紅の色に染め上げていく。
薄いながらも空全体を横断するのではないかと思うほどの長い雲には、
夜闇が沁みていて、紅い空の中、黒い影を纏い存在している。
そして彼女の赤いランドセルを、
緩やかに増えていく闇の中に隠そうとしていた。
紅の世界は火に覆われているようで、まるで世界の終わりと見紛わんばかりだった。
そんな中で彼女の両眼だけは綺麗な青い色をしていた。





彼女は、花畑の中にいる。
目の前に群生しているのはまだ咲きかけの鈍い紅色をした花。
コスモスに葉が似ているような気もするが、
見たことのない花の色だった。
守るためにいつも繋いでいる手は今日は無い。
意図的に寄り道をした。
幼馴染を庇う彼女の青い目のことを笑った隣のクラスの男子の顔が浮かんだが、
そんなものは記憶の海に沈めてしまおうと頭を振る。
私には守るものがあるんだと、彼女は毎日を胸を張って生きたかった。
それでもやはりくやしくて、紛らわすために色を変えつつあった太陽を追いかける。
このまま家に帰っても淀んだ気持ちを持て余しそうで、それが怖かった。
普段歩くことのない道を進んでいた。
しばらく歩くと、帰り道がどこだか分からなくなっていた。
辿り着いた低い木の柵を乗り越えて、
小さな花畑に入ってしまったのには理由がある。







「ガキがこんなところに何故来てやがんだ」
「あなただってガキじゃない。私と背も同じくらいだし」
小学四年生にしては彼女の背は高いほうだ。
舌打ちされたのが分かって、彼女は少しだけ不愉快さを抱える。
こちらに非があるのは分かっているので、敢えて態度には出さないが。
彼はガムの包みをひとつ取り出して、口に銜えた。
「……チョコレート工場でもあるのかと思ったのよ」
「ロアルド・ダールかよ」
「だって甘い香りがしない?」
「ケケケ、そりゃ、この花だな、Cosmos atrosanguineus」
「え?」
「テメーの目の前の花だ。チョコレート・コスモスって名がついてんだよ」
「ああ、チョコレートの香りは、だから……」
鈍い紅色をした花群を彼女は見遣る。
風に揺れて、揺れて香りが鼻腔をふわりとくすぐるのだ。
「花が好きなの?詳しいのね」
「ケッ、知識として持ってるだけだ。花臭ェのは好きじゃねえ」
大人びた物言いをして、彼は器用にガムを膨らませていた。
「この花は持って帰れないの?」
白々とした視線を送られて、彼女は押し黙った。
沈黙は風に流れて、闇へと吸い込まれていく。



彼は手を差し出した。
「ダメだ。ここら辺は私有地になってる。勝手に入るのだってよくねえのに。
ガキが一人で迷い込んでいい場所じゃねえ。大通りまでつれてってやる」
思ったより、細い手、長い指を彼女は見つめる。
「でも……」
逡巡していた彼女の様子に、彼はそれは大きく溜息をついた。
「ゴシャゴシャ言うな。黙ってついてこい」
気迫に押されて思わず彼女も手を出す。
繋いだ手は温かくて、それがとても意外だった。








ただ、歩く。
太陽はその姿をもう地平の彼方に隠してしまった。
ランドセルを並べて二人は歩く。
名も知らぬ男子に右手を預けている。
肌を冷たくして通り過ぎていく北風に震えながらも、
手の温もりに安心を覚えた。
彼は何も言わず、彼女も言葉は発しない。
彼は真っ直ぐに前方である東の宵を見つめている。
彼女はそんな彼から目が離せない。
紅い風景を目に焼き付けておきたくて、西の彼方を振り返りたいはずなのに。
甘い香りがする広がる紅色の世界にはもう二度と戻れないだろう。
静かに闇が満ち、夜の支配下になっていく。



手を離すのが怖くなる。
離す瞬間に世界が終わってしまっても構わないとさえ思う。
片方の手を預けたまま、何処までも一緒に彼と歩いていたかった。
「紅」の記憶と共に。






記憶にしか残らなくても、
紅色の世界は今まだここにあるのだと、
そう思っていたかったのだ。





END







「Kids☆Paradise〜きっぱら〜」企画参加作品です。
キッズヒルまもをテーマに書きました。
今回再録です。
レイアウトごといただいてしまいました。
ありがとうございました!


タイトル&END画像とレイアウトデザイン:そらほしぐり子さま






2011/2/06 UP



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