そうして次の世代へと
橋は掛かる

















たくさんのブラフと嘘の中に、ちょっとだけの本音を混ぜ込んでいる言葉が、
ヒル魔くんからはいつも投げられている。
それが当たり前で日常だということは、わたし、姉崎まもりも十分に理解していた。
どこまでが気持ちの上で真実なのかという分かりにくい境界線も、
泥門でのこれまでの付き合いの中で、自分なりに把握していたはずだったのだが。



いい加減見慣れてしまったあの悪魔の笑顔で、表情はもちろん変えずに彼はさらりと言った。
わたしの両手は頭上でヒル魔くんによって縫い止められ、
ホテルの部屋、一面に広がる窓から動かすこともできないでいる。
視線はヒル魔くんに置いたままで。
落とされた言葉の内容に、理解が追い付かず硬直したままのわたしは、
それでもなんとか事態を把握しようと、ここ数分ほどの記憶を逆再生してみる。



そう、確か、わたしたちは「橋」の話をしていた。
















アメフトユースワールドカップがアメリカで開催されることになり、
予定していた穏やかな春は、慌ただしさに紛れ何処かに消え失せてしまったようだ。
日本の南のほうではぼちぼち桜も咲く頃だろうか。
何故か全日本選抜チームのマネージャーの位置にわたしはいて、
アメリカの地で対戦チームのデータ解析や、
ワールドカップ結果のWebサイトの管理に追われている。
泥門デビルバッツとしての公式試合はもう次年度の春大会までは無く、
ヒル魔くんたち現2年生は泥門高校の慣例として、
その春大会やそれ以降の試合に出場することはできない。
つまり引退式を残すだけで、次の世代に……となるのだが、
このワールドカップが終わるまでは、もちろんそのすべてがお預けとなっている。



「ねえ、ヒル魔くん、お願いがあるの」
皆が練習中の中、ホテルのヒル魔くん達の部屋で2人、
ビデオの解析をしながらわたしはそう話を切り出した。
静かな部屋の中で、響くのは相変わらずのヒル魔くんのキーボードを叩く音。
そして、小さくではあったが、ビデオの再生音。
ビデオを止め、わたしはヒル魔くんのほうに向き直る。
ずっと抱えてきたことがあり、
ちょうど代替わりの時期で切り出すにはいいチャンスだと思う。
「4月になったら中坊君も泥門に、デビルバッツにやってくるわね」
「ああ」
「だから……」
「だからなんだ?」
「新しいマネージャーを、探して」
「……まだ残り1年はあるだろうが、テメー逃げる気か」
「バカ言わないで。卒業するまではもちろん頑張るつもりだわ。
ただ受験もあるし、やっぱりいろいろと引き継ぎもしたいし。
もちろん今すぐってわけでもないけど」
「テメーなら大概の大学(とこ)は行けんじゃねーのか」
「次の世代をサポートできる力が欲しいの。わたしも、橋を掛けたい」
デビルバッツ創世の3人から、セナや皆に橋を掛けたように。
そしてまた、中坊くんへと橋が掛かるように。
自分の仕事も次の世代へと継いでいきたいと思うのだ。



ノートパソコンのキーボードを叩く音が急に止まる。
大きく息を吐いて、ヒル魔くんは言った。
「次は誰でもいい。ならテメーが探せ」
「誰でもって、何よそれ。もう少しちゃんと考えて」
思わずその場に立ち上がると、丸テーブルが揺れた。
語気が荒くなったわたしに、射るような視線が飛んできた。
「俺は」
「何よ」
「俺は、テメーだけをどこまでも連れていく」
「な、何言ってるの。だって卒業したらもう、一緒にいられないのよ?
すべての場に、終わりはくるの」
「だから逃げる気なのかって訊いている」
「どういう意味よ!」
ヒル魔くんは更に大きな溜息を地に落として立ち上がり、
わたしの傍まで来ると右腕を掴んだ。
引っ張られた、と意識した直後には、
横にある一面に広がる窓に身体を押しつけられた。
そのままわたしの両手は、左の掌で押さえ、動かないように頭上で縫い止められる。
ここでようやくヒル魔くんの強く真っ直ぐな眼差しが、
自分に向けられていることに気付く。
互いに交錯する視線の距離は余りにも短く、負けないようにと見返したら、
いつもの悪魔の笑顔を彼は見せる。
「ケケケ、俺はテメーに惚れてっからなあ。逃がすつもりは無ぇ、一生な」



記憶を逆再生して、つまりは反芻させても、
わたしは自分が何を言われているのか分かっていなかった。
「!……そ、それって、どういう」
小さな舌打ちの音が聞こえた。
ボールを投げるその右の長い指で、ヒル魔くんは硬直したままのわたしの頬に触れていく。
「その青い目は、いつも違うもんを見ている。いつも、いつもだ。
だからもう少し、待つつもりだったんだがな」
自分には、見えていないものがたくさんある。
前にもそんなことをヒル魔くんには言われたのだった。
何を待っているのかは、考えても分からない。
「ヒル魔、くん」
名を紡ぐ声は掠れて出た。
「姉崎、」
「なあ、姉崎」
耳元にヒル魔くんは顔を寄せ、囁くように自分の名の音を重ねる。
現状の理解とそれに伴う驚愕がゆるゆると訪れて、すぐに視界は涙で揺らいで分からなくなった。
名を呼んでと強請った、そして呼び合ったあの秋の情景に既視感を抱えつつも、
震える瞼を持て余していたわたしはゆっくりと目を瞑る。
ああ、頬に流れるもののせいなのか熱を持って何処も彼処も熱い。
彼の吐息がすぐ近くに在る。
「俺が触る女はテメーだけだ。……いい加減、分かれよ」
ヒル魔くんの指がわたしの下唇をひと撫でし、そのまま中に侵入してくる。
「や、あ……。ヒル魔、く、」
すぐに噛み付くような口付けが後を追ってきた。
それは決して優しいものではなく、歯列を割って舌が入れられ、
粘膜ごとなぶられるような、今までに経験がなかったものだった。
あまりの激しさにだろうか、
全身を突き抜ける震えに立っていられなくなって、膝が折れる。
同時に縫い止められていた両手が解放され、
わたしはヒル魔くんに向かって倒れ込んだ。
「……ん、ふ。んっ」
抱き止められた後もキスは続き、舌だけではなく唾液まで絡めとられて、
酸素は絶対的に足りず、溺れかけているかのように苦しさは増すばかりだ。



唇が離れてからも、ヒル魔くんは首筋に唇を落とし、小さくそこを噛まれて痛みが走る。
胸の何処かはもっと痛かった。
息ができない苦しさは先程とあまり変わらない。
口は幾度か開いても、酸素が上手く取りこめていなかった。
「ヒル魔、くん」
「覚悟しやがれ。ここを卒業しようが何だろうが、
たとえ行きつく先が天国でも地獄でも、テメーだけは離さねぇ」
絞り出したようなヒル魔くんの重い声はそれきりで、沈黙に世界は切り落とされる。
わたしが窒息しそうなほど、ヒル魔くんは覆い被さり締めつけるように抱いていた。
しばらくはそのままだった。
縋りつくように背に手をまわして、指に力を込める。
細身だけどしっかりとした筋肉がついている、ヒル魔くんの背中を、
指を滑らして小さく撫でた。
わたしにとっては人生が変わるような大事な告白だったのに、
何故ヒル魔くんは辛そうなのかが分からない。
でも、ヒル魔くんの剥き出しの心に初めて触れたような気がした。
どんなに苦しくても、それがわたしにはうれしかった。






ああ、終わりはまだないんだ。
これからもずっと、ヒル魔くんと生きていくんだ。



それならば、天国でも地獄でもなく、
この現実にまだまだ居たいなあとわたしは思う。






「マネージャーの話だが」
「うん」
そうだ。
本題を忘れてしまうところだった。
ちゃんと交渉しなければと思うのだが、上手く頭が働かない。
「……テメーの橋は、テメー自身でちゃんと掛けろ」
「え?」
「誰を選んできても文句は言わねぇ。姉崎、その人選は俺が信じる」
「信じる」という言葉に、じわり、と染み込んでいくうれしさがある。
好きだ、というずっと抱えてきた気持ちに、
愛しさが少しずつコーティングされていくような気がする。
「うん。……ありがとう」








行き止まりを感じていた自分の想いにも、
それ以外のいろんなものにも、
未来へ向かっての橋が掛かっていく。



泥門デビルバッツという、わたしたちが愛したチームは、
わたしたちがいなくなっても、残るのだ。











ヒル魔くんのほうが、切ない恋をしている。
マリアシリーズはずっとそんな感じです。

まもちゃんがまだ大人になりきれていないのを十分に分かっていて、
彼はいろいろと待ち続けているのです。

マリアシリーズはあと数作ですが、
最後までお付き合いくださると幸いです。







2014/8/18 UP


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