月のない夜に








夢が叶った後の、穏やかな夜だった。
微かに風が吹いている冷えた夜で、船上からでも満天の星が輝いているのが見える。
上がる花火は鮮やかに世界を照らすけれど、月は視界の何処にもいないように思われた。

                                            

「何処に行くの」
わたし、姉崎まもりが船を下りて祝賀パーティ会場から離れようとする人物の背に問うたら、
振り向かずに彼は立ち止まった。
「テメー、どうせ知ってんだろうが。何でこんなところで待ち伏せしてやがんだ」
関東大会優勝の祝いの場を途中で放り出して、
三角巾で腕を吊ったヒル魔くんが行かねばならない場所など、
武蔵くんに聞いてとっくに知っている。
「クリスマスボウル出場、おめでとう」
「……糞マネ」
気になるその呼ばれ方も今日だけは黙認しようと思う。
「ちゃんと面と向かって『おめでとう』って言いたかったの」
「叶っても、夢には先がある」
「何言ってるの、掴み取るんでしょ、その先も」
「たりめーだ」
ヒル魔くんの表情は暗がりでも分かるほどうれしそうだった。
夜闇の中、悪魔が笑っている。



小さな舌打ちの音が夜の空気の中で響いた。
「……誤算だったな」
「え?」
「いろんなモンをお預けにしてんなァ」
わたしの頬に軽くヒル魔くんの左の指は触れて、
跳ねた心臓の鼓動が身体中を反響している。
器用に片手でお馴染みの無糖のガムの包み紙を剥がし、
わたしの口にそのガムを突っ込んできた。
「……っ!」
今までたくさんヒル魔くんが自分の口にガムを放り込むのを見てきたけれど、
自分の口に入れられたのは初めてだった。
半端に食み出ているガムを入れるべきか出すべきか逡巡したが、
近付くヒル魔くんの顔にこれ以上目を開けていられなくて瞼を閉じた。



唇が触れたのは一瞬だった。
ガムを持っていかれたのにすぐに気付いて目を開けると、
ヒル魔くんがそのガムを噛みながらこちらを見て笑顔になった。
悪魔が人間に戻ったような気がするくらいに穏やかな笑顔だった。
「ちょ、ヒル魔くんっ!」
「ケケケ、さっさとテメーはパーティに戻りやがれ」
ひらひらと背を向けたまま、ヒル魔くんの手は振られた。



あと一試合でヒル魔くんの泥門デビルバッツとしての試合は事実上終わってしまう。
クリスマスボウル、帝黒学園との試合で彼が完全復活を遂げるためには、
民間療法である酸素カプセルに頼らざるを得ない実情がある。
去っていくヒル魔くんの姿をわたしはずっと目を逸らさずに、
笑顔の残像を記憶の内にしまい込みながら見送っていた。








夜天光は優しく世界に光を与えている。
月のない、夜だった。














これを書いている時点で
マリアシリーズは終わりへのカウントダウンが始まっているはずなのですが。
まだ最終話を何処(コミックスの)にするのかが決まっていません(笑)

本編での試合はワールドカップ合わせても後2試合。
(最終回のはカウントしてません)
まだしばらくはこのシリーズ、続きます(笑)





2011/11/3 UP


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