栗色の髪は
確かに揺れていたのだ



春の風に
秋の風に










残像












印象が違うのに、
ヒル魔はすぐに気が付いた。






関東大会の抽選会。
習慣になってしまったのか、姉崎まもりは
集合時間よりかなり早く、ヒル魔たちが到着した時には
すでに会場の前で空を見上げていた。
見上げていたのは空だったのか。
それとも何かまた違うものだったのかは、分からないのだが。






「ヒル魔くん、武蔵くん、早いのね」
こちらに気が付いてまもりは駆けて来る。





風には
揺れない。





らしくもなく驚いて、何も返せないヒル魔の横で
ムサシが笑顔で言った。
「姉崎、髪、切ったのか」
まもりは表情を少し硬くして、ヒル魔のほうに先に視線を向けた。
何か言いたそうな瞳は一瞬だけで、
今はムサシのほうを向いて柔らかに笑っている。
「そう、切ったの。気分一新したくて。
武蔵くんもその髪型はそういうわけじゃないの?」
「…いや、俺はこいつに突然連れてかれたんだよ、床屋に」
ムサシは親指をこちらに向かってたてている。
「少しでも敵ビビらしたら儲けもん」
それだけ返して、ヒル魔は無糖ガムを口に放り込んだ。
まもりの頭をぽんと軽く叩いて、ムサシは言う。
「その短めのも、すっきりしていて似合うんじゃねえか?」
「ありがとう」
「…お、栗田来た!」
ムサシはヒル魔の肩をも叩いて、その場を離れた。
小さく舌打ちしたのには気が付かなかっただろう。
誤魔化すために膨らましたガムが音を立てて弾けた。






「髪…変かなあ?」
まもりは突然にそう問うた。
「今テメーは似合うと言われてなかったか?」
「だってヒル魔くん、じっと見てる割には何も言ってくれないから。
もしかするとどこか変なのかなあと思って」
そう言いつつ、こちらを見つめている。





その髪は、
風には揺れない。





確かに揺れていたはずなのだ。
春の風に。
秋の風に。





風に揺れるのをただ見ていた
あれはまだ春の時間だった。




見ているだけではなくて
触れたくなってしまった。
それは秋の時間で。
指のその柔らかな感触に
意識の何処かで風を感じた。





風はあの時と同じように
吹いているような気がするのに
目の前にいるまもりの髪は
随分と短くなってもう揺れてはいなかった。












ヒル魔は、指を伸ばした。





右腕を、その関節を、手を、指をも伸ばして
まもりの首の10センチほど横、そっと泳がせて。
長い指。





見ているのは、触れようとしているのは
残像なのかもしれなかった。
春の、そして秋の
ふわりと柔らかく揺れるまもりの髪の残像が
ヒル魔の角膜に残っていたのかもしれなかった。





「ヒル魔…くん?」
「どんな変わろーが、テメーはテメーだ」
ヒル魔は口の端を微かに上げて笑うと、
そのまま、指を戻した。
「いくぞ糞マネ」
「もう!相変わらずでうれしくないわ、そう呼ばれるの」
膨れっ面のまもりに、ヒル魔はケケケケと声を上げて笑った。
「ヒル魔ぁっ」
栗田の呼ぶ声が聞こえる。







残像は、ずっと見つめ続けていれば
やがて消えていくものなのだ。




変わらないものもあるのだろう。
あの風のように。
優しく吹き続けている風のように。
変わっていくものもあるのだろう。
生き続けていく限り、
いつまでも、何もかも同じではいられない。








見えていた残像は、心の中にだけに残して
変わっていくものはそのまま受け入れようと
ヒル魔はそう思っていた。
















秋の終わりの風は今も
優しく、優しく変わらずにそこに在った。





残像だけが
未だ、風に揺れていた。






















マリアシリーズ『風に揺れて』と
あわせてお読み下さい。





2006/10/07 UP


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