心の奥底にはきっと




優しさが溢れて
静かに流れている




河のように
大きな河のように










優しさの河












都大会も終わり、表彰式を終えると
あとは関東大会へ向かって、全力で疾走する日々が待っていた。





僕、小早川セナがアイシールド21だとカミングアウトをしても
まもり姉ちゃんの優しい瞳も笑顔も変わらなかった。
「どうして何も言ってくれなかったの」と、
責める言葉をひとこともその口にのぼらせることはなく、
そのままの自分を見てくれた。
いろいろと思うことはあっただろう。
今まで何も知らされていなくて、寂しい気持ちにもなっただろう。





きっとその気持ちを受け止めてくれた人がいたんだと思う。
だからこそ、まもり姉ちゃんの心に流れている優しさは
何も変化することはなく、ただ静かに今も流れ続けている。













気づいてはいたけれど、
確かめたいことがあったのだ。




















表彰式があった次の日、朝練のときに体操服が入った袋を
部室に忘れたままだったので、昼休みに取りに行った。
部室の扉のカギはかかっていなかった。
たぶん合鍵をたくさん持っているヒル魔さんが中にいるのだろう。
ドアを開けると、ヒル魔さんだけじゃなくてムサシさんもいた。





「あの、ちょ、ちょっと体操服を忘れちゃって…」
ロッカールームのほうに向かうと、背後から声をかけられた。
ムサシさんからだ。
「セナ」
「…はい?」
振り向いたら、笑顔のムサシさんが目の前にいた。
ヒル魔さんは指定席で、愛用のコルトマグナムを布で磨いていた。
「お前、姉崎にカミングアウトしたんだってな。自分がアイシールド21だって」
「ムサシさん」
「よく、自分からちゃんと言ったな」
頭をくしゃりと撫でられる。
なんだかすごくうれしかった。
「いえ、…いつかは言わないといけないことだったから」
「ん、そうだな」
へらっと笑っていると、ヒル魔さんの声が飛んできた。
「そーだ、糞チビ、テメーなんか俺に訊きたいことが
あるっていってなかったか?何だ?」






「え」
「え、じゃねーだろ。言ってみろ」
いや、確かに。
訊きたいことは確かにあって。
突然だと何なので、以前に伺いをたてていたのだ。
なのに。今。ここで?
ムサシさんいるんだけどな。
「ここで、…ですか?」
「俺は退散しようか?そのほうが話がしやすいだろう?」
僕の声音の変化にムサシさんは気が付いたのか、
気を使ってくれているようだ。
「別にいてもいいだろうが。すぐ終わるだろ?糞チビ」
……あああ、なのに当のヒル魔さんはそう言うしっ。
「ほんとにここでいいんですか?」
念を押す。押したら。
ヒル魔さんのコルトマグナムの金属音がした。やばい。
悪魔のしっぽが見えている。
「うわわわわ…あ、あの…」
「さっさと言いやがれ!」












「あの。…ヒル魔さん。
まもり姉ちゃんのこと、好きなんですか?」












はたり、とその場に。
3人が居る、ど真ん中に沈黙が落ちた。













どうやら、思いっきり不意打ちの質問だったようだ。
呆けたようなヒル魔さんの顔。
その表情にすぐに自分でも気が付いたらしく。
眉根を寄せて、舌打ちの音を落とす。











ああ、分かってしまった。





ヒル魔さんとの付き合いは、
栗田さんやムサシさんほどに長くはないのだけれども。
それでも、分かってしまった。
答えなんかわざわざもらわなくても、
ほんとうはデスアリーナで、まもり姉ちゃんの紹介を
聞いた時から、うすうすと気が付いてはいたのだけど。





でもやはりきちんと確かめたかった。
まもり姉ちゃんもヒル魔さんも僕にとっては大切な人だから。











落ちて転がったままの沈黙が広がって
部室の中を満たし始める。
その沈黙を突き破ったのは、ムサシさんの笑い声だった。
「ぶわっはははっ」
見ると、楽しそうに笑っている。
…目に涙を浮かべてたりも…もしかしてしてますか?
「そういう話題じゃ俺がいちゃ邪魔だろうから、退散するな。
セナ、よくぞ訊いた。いや、楽しかった。
ヒル魔がこんなに顔に出るヤツだったとは知らなかったぞ」
そう言いながら、ドアに向かってムサシさんは移動している。
たぶんいろんな事情をこの人は知っているんじゃないかと思う。
悪魔のしっぽは伸びているようだ。
「余程地獄を見たいらしいな。首洗って待ってろ、糞ジジイ!」
ムサシさんはそれでも笑顔のままで部室から出て行った。
ヒル魔さんも毒づいてはいたが、それ以上は何もしなかった。
で、…2人きりになってしまった。





「あの、…あの、すみません…」
近づいてきたヒル魔さんを上目遣いで見る。
すると、すごく真面目な顔をして問われた。
「テメーはそれを訊いてどうしようっていうんだ」
「いや、答えはもういいです…」
先ほどの表情でなんとなく分かっちゃったし。
ヒル魔さんは再び舌打ちの音を返す。
恐る恐る顔を上げてヒル魔さんを見ると
表情に照れが入っているのが分かって、余計うれしくなった。
「そういう風に気にかけるのもわかんねーでもねーがな。
それに関しちゃ、心配なんかすんな」
「…でも」









「テメーが大事にしている『まもり姉ちゃん』は、俺がもらっていく」
突然に落とされたその言葉に、僕は呆然となってしまった。










「…ヒル魔さんっ」
どうしよう。
なんだか、すごくうれしいんだけど。
「だからテメーは前だけ見て、駆けてろ」
「うわ…はい」
「止まってなんかいられねぇんだぞ!」
「はいっ」
僕には、またこの人にも流れている
優しさの河が見えたような気がしていた。








ほんとうは誰も皆、心の中に河を持っている。
流れ流れる優しさを持っている。








周囲の人たちからたくさん今までにもらった優しさを
僕はまた誰かに渡すことができるのだろうか、と
そんなことを考えていた。










「まもり姉ちゃんをよろしくお願いします」
声には出さず、心でそう言って、
カギをこちらに放り投げて部室を出て行く、
ヒル魔さんに向かってぺこりと頭を下げた。













関東大会は、すぐそこまで近づいていた。





















セナの話は先で
『それは愛の言葉』という話に
繋がっていくと思われます。





2006/8/24 UP


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