零れるごとに
心が軽くなっていく










涙にとけるもの












セナがわたし、姉崎まもりの傍から離れていく。
アイシールド21として、フィールドに向かうのだ。




何故泣いてしまったのだろう。
その理由さえもよくわからないままに
涙は流れて落ちて渇いていく。





意識せずに流した涙は、
わたしの心を癒しはしなかった。





だから、
もう泣かないでもいいと思っていたのだ。

























いつの間に
これが日常になってしまったのだろう。






いつものアメフト部室で
ヒル魔くんがいて、わたしがいて、
会話もろくにないけれど流れていく静かな時間。
試合後であっても、慌しさはあるものの
2人の間に流れる空気は変わらない。




でも、今日は。
盤戸戦に勝利し、関東大会の出場権を獲得して。
祝賀会の喧騒も落ち着いて、みな解散して、
いつものように2人きり。






そしてヒル魔くんは、わたしに言ったのだ。
泣いてもいいのだと。




「今、ここで泣いてしまってもいいぞ」
「…何、それ」
「俺にそう言ったのはテメーじゃねぇか」
確かに、西部戦の後に、
ヒル魔くんにそう言ったのはわたしだったのだけど。
だって、それはヒル魔くんが無理をしているのが分かったから。





泣いたって、なんにも変わらない。
あの時も涙は零れていったけれど、
気持ちはなんにも落ちていかなかった。
だから泣かないわ。
「糞チビが離れてしまったようで、それは寂しくはねぇのか」
息をのむ。
…それは真実かもしれないけれど。
自分の感情がよく分からなくて、
ヒル魔くんにそう言われて、わたしは動揺してしまう。
逃げようとして後退るけれど、両方の手首を掴まれて動けない。





「目、閉じちまえ」
耳元に顔を寄せ、囁くようにヒル魔くんは言った。
頬が熱を持つ。
どこもかしこも、じわりと熱くなっていく。
「どうして?」
それでも、ヒル魔くんを見つめてそう問うた。
「そういう反応が返ってくるとはな…」
視線は絡まりあったまま。
わたしたちの間には、ほんの少しの距離しかなかった。
「どうしてよ」
再度問う。
「キスする」
「…!」
「だからその青い目を閉じちまえ」
「ど、同意を求めてすらいないじゃないのっ」
ちょ、ちょっと待って。
ちょっと待ってよ。
突然のことに思考が追いついていかない。
「テメーの気持ちなんざ最初っからお見通しなんだよ」
両手首を掴まれながらも、ばたばたと暴れるわたしに向かって
ヒル魔くんはゆっくりと名を呼んだのだ。
「…姉崎」
全身に震えが立ち上ってくる。
視界がゆらりと歪んで、喉が熱くて、
涙が何処からか湧いてくるのが分かった。






名まえ。
ずっと呼んで欲しかった。
糞マネじゃなくて、わたしの名まえ。
でも、ずるい。それってずるい。
「ヒル魔くん、ずるい!こんな時に…」
ヒル魔くんはきっと分かっていたのだ。
ここでわたしの名まえを呼ぶことが、何かの扉を開けるのを。
その名まえの音自体が鍵となっていることを。
顔を見ると、ヒル魔くんはそれはうれしそうに笑っている。
ヒル魔は体を捻って、わたしの体をカウンターに押し付けると
もう一度「姉崎」と呼んで、その顔を近づけた。





抵抗できない。
ヒル魔くんの腕の中からは、逃げることができなかったし、
逃げようとも、もう思わなかった。
わたしは大好きな悪魔の傍にいるのだ。





瞼は震えて揺れて、やがて閉じた。




涙は一粒零れて、
肌をつたうそれは、すごく熱かった。
篭ったままで沈殿していた澱のような何かが
一緒に溶けていくような、そんな気がしていた。








溶け出たものは何だったのだろうか。















涙は零れ落ちていく。
触れた唇の熱さに触発されたのか、
わたしの意志が届かないところで、涙は止まらない。
ヒル魔くんの名を呼ぶけれど、声にならなかった。
それでも呼びたくて、息だけで呼んだ。
嗚咽を押さえ込んで、さらに呼んだ。
小さな音になった。





目の前のヒル魔くんは、とても優しい表情をしていて
わたしに顔を近づけると、名を呼んでくれた。







「姉崎」
「…ヒル魔、くん」
「姉崎」









呼び合う。






お互いの存在を確かめるように
ただ、呼び合う。






呼び合う度に、涙が零れるごとに
心が軽くなっていく。















「姉崎」
呼びかけられる。何度も。
再び口付けられて、その唇が離れても。
まだいくつもの涙の筋を落としながら
嗚咽に体震わせながら、それでも言葉をわたしは返す。
「ヒル魔くんは…ずるい…」
「あねざき」
「…ヒル魔、くん」
呼ばれる名まえに、心も体も絡め取られていくようだった。









ヒル魔くんはわたしを抱き締めながら、静かに言った。
「気づいたからって、テメー自身が
そんなにすぐ変わるとは誰も思っちゃいねぇ」
「…え?」
「糞チビの傍から離れろとは、俺は言わねぇから」
「……」
「ただ、あいつも男だ。いつまでもガキじゃねぇ」
「うん」
「高みを目指して駆け上がってくトコロを、ちゃんと見てろ。
決して目ぇ逸らすんじゃねーぞ」
「うん」





繰り返し繰り返し頷くことしかできなかったわたしを、
ヒル魔くんはわたしのその震える背中を優しく撫でてくれた。
涙はまだ、止まらないけれど。

















それでも、心が軽くなる。
涙に溶けるものが、きっとあるのだ。



















『呼び合う』のまもちゃんバージョンです。





2006/7/10 UP


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