雨が降るように
そんなふうに自然に








雨が降るように











急に天気は変化して、
夕方あたりから雨になっていた。





「泣いてしまっても、いいのよ」
という姉崎まもりの台詞に、俺、ヒル魔は困惑していた。
他の誰がヒル魔という奴に対してそんな台詞を吐けるだろう。
この女はそういう意味では最強ではないかと思う。





掴んでいた手は、熱かった。





「…っ、テメーはそうやって、いつも俺の中に踏み込んで…っ」
何も分かってないくせに。
俺の気持ちも、自分の気持ちすらも分かってないくせに。
こちらの心にいつも真っ直ぐに踏み込んでくる。
見つめ合っても視線は逸らさない。
俺は立ち上がり、掴んでいた細い女の手を引き寄せる。
優しくする余裕がなかった。
抱き締めるその力の加減すら、今日はできなかった。





雨が降るように、そんなふうに自然に
泣いてしまえることができるのなら、それが1番いいのだろう。
だがそれができない自分というのもよく分かっていた。





聞こえるのは雨の音。
鼓膜を打ち付けるほどの音。
「ヒル魔く、ん。くるし…」
「……」
他の音が聞こえなくなるくらいに、雨があちこちを侵食していて。
「…くるしい、よ」
さらに腕に力を込めた。
離したく、なかった。







俺たちは、勝てなかった。



それが1点差でも100点差でも関係がない。
事実がひとつ。
ただ、勝てなかったのだ。






「テメーが勝て、と言ったのにな…」
たまらなくなって言葉を落とす。
初めて「勝って」とこの女に言われたというのに
あの男も戻ってきたと言うのに、それでも。





そして2人とも泣けなかった。





泣くなよ、と俺は思う。
泣き顔なんか見ちまったら
そこで終わりだ。
もうどうしたって抑えがきかねぇ。









「…ひるま、くん」
名を呼ぶ声が届いて、腕の力を少し緩めた。
苦しそうに息を吐いている。
「嫌だったら、逃げてもいーんだぞ」
前に抱き締めた時も、するりと自分の腕の中から
離れていった。
今度もそうかと思っていた。
だが、逃げない。
息をひとつついて、この女は俺の腕の中で
目を開けて再び閉じる。
指先で俺の腕に触れる。
その指先も腕も体全体も微かに震えていた。





もしもこの世に神なんてもんがいたとしたら
感謝してやってもいいくらいだ。
俺は神の傍になんかは行けねぇが
聖母(マリア)は今、俺の腕の中にいる。





掴んでいた手を離し
指を伸ばして、見えている額にそっと触れる。
ちゃんとそこに存在しているのを確認して
こめかみを指は通り、頬を掠めて首に触れ
女のさらりと流れる髪をすいていった。
触れた頬に赤みが差すのを確認し、
俺は笑みを浮かべた。
「逃げねぇのか」
逃げないと分かっていて、それでも問うてみる。
黙ったまま動かない。
肯定も否定もしなかった。
だが、腕の中にいるというその事実がうれしかった。





愛しく思って、少しだけ、
抱き締める腕に再び力をいれた。

















断続的に雨はずっと降り続いている。





テーブルを挟んだ俺の目の前で
大好きなシュークリームにかぶりついてる女は
照れているのかしばらくは何も話そうとしなかった。
それでも時間だけは過ぎて、結構遅い時間になっていた。





「傘、今日2つ持ってるから、…帰りましょう」
ぽつりと言葉を落とした。
「相変わらず用意がいいな。
てかテメー、まだ糞チビのために傘持ってんのか」
無糖ガムを口に放り込みながらそう言うと
またその頬を赤くして、イスの音をたてて立ち上がった。
「今ここに傘は2本あって、確かにこの傘のひとつは
セナのために用意したのかもしれなくても、それでも。
ここにいるのはセナではなくて、わたしとあなただわ」
普段よりも強い口調で、そんなことを言う。
真っ直ぐな目をして、俺を見つめる。





「…悪かったな」
自然に言葉がでた。
大地に雨が降るように、草木が潤っていくように
俺の中の乾いた気持ちも
潤っていくような気がしていた。
傘が目の前に差し出される。
それを受け取ると女はふわりと柔らかい笑顔になった。









ほんとうは最初から
その笑顔に惚れていたのかもしれない。



笑顔はいらねぇ、
そんなことを思っていたはずなのに。



2人の何が変わっていったのだろうか。
これから何処まで変わっていくのだろうか。












それはきっとこの女にも、
そして俺にも分からなかった。
















『10月の雨色』のヒル魔くん視点の話です。

傘の話は拍手の例のシリーズと連動していました。



2006/3/31 UP



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